岡田彰布は礼節を知る男 「家まで夫妻で移籍の挨拶に来たのは彼だけ」 三好一彦元阪神球団社長語る
元阪神球団社長の三好一彦(93)が、18年ぶりとなるタイガースのリーグ優勝を心から喜んでいる。かつて電鉄本社役員、球団フロントとしてチーム運営を指揮。栄光と苦難の過去を「天国と地獄を味わった」と独特の表現で振り返り、久しく遠ざかる日本一の再現を願った。
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長生きはしてみるものだ。最近目が衰え、耳も遠くなり、足もとまでおぼつかなくなってきた三好は「これで冥土の土産ができましたわ」と軽い調子で言うと、うれしそうに笑った。
今年は143試合、自宅リビングの“指定席”でタイガースの試合をフルイニング観戦した。「歯がゆい思いをした」ここ数年のうっぷんを岡田彰布が晴らしてくれると期待し、その軌跡を追い続けたからだ。
1993年オフ。岡田は新旧交代の波に飲まれ、タイガースを離れた。断行したのは球団社長だった三好。それは功労者に対する苦渋の通告だった。
オリックス移籍の際に、「タテジマのままバットを置いたらどうや」と意思確認したのは、阪神・岡田のイメージを残したかったから。それでも本人の意思は固かった。
涙の退団会見から数カ月後のある日。三好は岡田のとった行動に心奪われたという。
「奥さん(陽子夫人)と2人でウチへ挨拶に来ましてね。“お世話になりました。オリックスで頑張ります”と。家まで、夫妻で移籍の挨拶に来たのは、彼だけですわ」
この礼節を大切にする姿勢は、かつて吉田義男が語っていた“岡田像”に通じるものがあった。
「岡田の周りにはいつも人が寄ってくると言うてました。人望があるという意味かな。みんなを束ねる資質、リーダーシップがあるんでしょうなぁ」
吉田義男は阪神唯一の日本一監督。三好が阪神電鉄の取締役西梅田開発室長時代、久万俊二郎電鉄本社社長(当時球団オーナー代行)の特命を受けて、吉田監督招請にかかわったという過去がある。
遡れば三好が神戸大4年、吉田が立命大1年の時に関西六大学野球のフィールドで出会っている。1953年には、阪神電鉄入社と阪神タイガース入団が重なるほど、2人の縁は深い。
三好が次に望むのは、吉田阪神の中軸を担った岡田の指揮下で実現する、38年ぶりの日本シリーズ制覇だ。
「85年はベテラン中心の出来上がったチームで、8点取られても9点取って勝つ攻撃型の野球。今年は1点を取って1点を与えない守備型の野球。若い戦力のフル活用、投手交代などの用兵面において監督の力を感じた」
6月4日、ロッテ・佐々木朗との対戦が強く印象に残っているという。佐々木から6回1安打で1点しか奪えなかったが、10三振と引き換えに5四死球で投手を疲弊させるベンチの計略に感心した。
「ヒット1本でも四球や足を絡ませて攻略できる戦い方があるということですわな」
この先に2つの関門が待ち構える。まずはCSファイナルS。
「鎧を着たままのチームと、いったん風呂に入って戦支度するチームとの差はあるが、岡田監督ならいろいろと手を打ってくるはず。(その上で)これまでと同じ野球をするんやないですか。1点の攻防でハラハラする展開。そういう野球で勝ち進んできたんですから」
そして、日本シリーズ。
「ここまで来たら、もういっぺん見てみたい。望みは高く」
少し欲が出てきた。93歳。冥土の土産は日本一がいい。=敬称略=(デイリースポーツ/宮田匡二)
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