原口文仁が携える御守り

 【10月2日】

 松村邦洋から電話があった。僕が仕事仲間と食事していた前夜のことだ。

 「さみしいですね…」

 松村はそう言うと、しばらく黙ってしまった。

 あしたは?

 「都内でラジオの仕事があって甲子園に行けないんですよ。あっ…仕事中ですよね?切りますね」

 こちらの雑踏を察したのか。互いに何度か「さみしい」と言い合っただけのやりとりになった。松村はその後、何のメッセージもなしにLINEに画像を貼って送ってきた。そこに映っていたのは…満面の笑みで写真におさまる原口文仁との2ショットだった。

 さみしいのは、村上宗隆のホームランをもう日本で拝めないからではもちろんない。ラッキー7に「代打原口」のコールが響くと、ファームから甲子園に駆けつけた若虎たちがスタンドからスマホのカメラをフィールドに向けた。背番号94の勇姿を忘れないように…。球団には金本知憲や藤川球児の引退試合と遜色ないほど色とりどりのブーケが各所から届けられていた。これだけ惜しまれながらユニホームを脱ぐ選手もなかなか…。

 この夜、原口と握手した。

 「ありがとうございました」

 その大きな手に触れるのは一昨年の秋…。18年ぶりの優勝を決めた甲子園、そのベンチ裏の階段で手を握って抱き合って以来…いや、それ以前にも一度ある。6年前の春。大腸癌の手術明けに鳴尾浜球場で「おかえり」と声を掛けると、涙腺が緩んだ僕の肩をたたいて手を握ってくれた。

 「風さん、僕、大丈夫だから!」

 原口は笑っていた。

 なんでそんなに強いんだ…。なんでそんなに笑顔でいられるんだ…。傍に守護神でもいるのか?そう思ってしまうほど、彼の装いは平静に見えた。

 原口は先輩から贈られた強い「御守り」を持っている。18年の冬に大腸癌が発覚すると、すぐに癌封じの神といわれる岡山県赤磐市の石上布都魂神社を参ったその先輩は西宮の自宅へそれを届けてくれた。19年2月のことだ。

 「手術した後に御守りを持ってフミの自宅へ行って…。こっちに気を遣わせないようにしていたんだと思うんですけど、お邪魔している間ずっと笑顔で…。すごいなと思ったのは、あいつずっとスカイAのキャンプ中継を見てたんです。野球が大好きで…復活することしか頭になかったんでしょうね」

 阪神OB森田一成である。

 実は僕が原口と面識を持ったのは、森田の紹介だった。森田が連れた新人原口に初めて会ったのは安芸キャンプの夜。ばったり出くわすと、「おいフミ、この記者さん力あるから知っておいたほうがいいぞ!」。なんちゅう紹介や…。でも、それ以来、原口とは球場外でも…。2学年上のOBで現球団職員の森田はこの夜、記者席から大切な後輩の「引退試合」を目に焼きつけていた。「キャッチャー原口」のコールには目頭を熱くした。これだけ惜しまれながら…いや、フミにはまだ負けられない戦いがある。=敬称略=

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