記者を幸せにする選手
【10月14日】
みんな人間だから好き嫌いはある。オトナになれば、イチイチそれを出したら仕事にならないから出さないだけで、できればこの人とはお付き合いしたくない…そんな思いは誰にだってあると思う。
ほかの記者には聞かないので分からないけれど、みんな多かれ少なかれそんな類の感情はあるのでは?なんて思いながら、もう20年以上この業界で仕事をしている。
好き嫌いでいえば、完全に好きな左腕、高橋遥人の切れ味鋭いスライダーを眺めながら、全盛期の岩田稔のそれを思い出した夜だ。
岩田稔が今季限りで引退する…そう聞いて思い浮かんだ記者が2~3人いた。その1人は岩田の引退会見で声をふるわせ…いや、泣きながら質問をしていたことは、ご存じのファンも多いと思う。それほど取材対象者に思い入れが深くなるのは記者冥利に尽きるし、とても幸せなことだと思う。
その昔、僕は横浜スタジアムの記者席でこらえきれなくなったことがある。新聞記者はいつも冷静に…当時、あるセンパイから諭されたのだが、そのとき、ハマスタで肩をポンポンとたたいてくれたのが、改発博明…現デイリースポーツ社の代表取締役社長である。
「取材する側とされる側。本気で体当たりしてきたからこそ、涙が出る。取材でうれし涙を流せる記者を、私は幸せだと思う。記者に涙を流させた金本も素晴らしい」
これは当時、改発が連載したコラム「続・とらのしっぽ」で綴られたものだ。僕自身、あれが金本知憲の番記者を担って最初で最後の落涙…だったわけだけど、もう1人、改発と同じ趣旨の言葉を掛けてくれたのが、江夏豊だった。
「選手と新聞記者、人間同士だもんな」
江夏からそう声を掛けられたことをはっきり覚えている。
普段着になれば選手も「人」。そこで心を裸にして付き合い、悩みも弱さもさらけ出せば、原稿に「思い入れ」は入るものだ。
背番号29は、もしかすると、江夏を超える伝説の左腕になる。そんな期待さえ漂わせるシーズンの終盤戦…この夜もそうだった。
僕は高橋遥人とプライベートの付き合いはない。だから、彼の人となりを記そうと思えば、見たままを書くことになる。例えば…
あれは18年。球団スカウト渡辺亮が新人時代の高橋遥人にオークリー製のサングラスをプレゼントした場に居合わせた。フレームがグリーンのカッコいいやつだ。
「本当に、ありがたいです。ただ、まだまだ僕には…もったいなくて、つけられません」
あのとき遥人は恐縮していた。
亜細亜大やなぁ…渡辺と僕はそう言って笑った。タテ…いや、礼節のしっかりしたという意味で。
あれから3年。遥人はまだあのサングラスを「つけたことないんじゃないかな」と、渡辺は言う。
亜細亜大のセンパイが最終回に援護してくれた夜だ。「遥人のために」。仲間にそう思わせる男であることは、記者…いや人としてよく分かる。=敬称略=