自宅に飾るM4の勝利球
【9月24日】
能見篤史の自宅には今もあの日のウイニングボールが飾られている。16年前の9月24日、阪神はドラ1(自由獲得枠)ルーキーの粘投で81勝目。優勝マジックを4まで減らし…その記念球である。
朝方、能見に連絡をとった。
とくにこの日を意識したわけじゃなく、たまたま私用でお世話になったため、感謝を伝えたのだ。
ご存じの通り、彼の肩書はオリックスの投手兼任コーチである。でも、だからといって、いきなり「コーチ!」と呼ぶのも変だし、付き合いはこれまで通りだけど、彼の若かりし日を掘り起こせば、16年なんてあっという間。あの美しいフォームのルーキーがもうコーチなのか…と感慨深くもなる。
「新井さんに打たれた…いや、打ち取った打球ですね(笑)」
能見はきのうのことのように、あの日を覚えていた。
岡田阪神が優勝に邁進した05年の秋だ。広島市民球場で先発マウンドに立った26歳は、四回、カープ新井貴浩に43号先制弾を許すのだが、これが小ぶりな市民球場の右翼席前列に飛び込む…。新井が「完全に差し込まれたし、入るとは思わなかった」と語るラッキー弾。そして、新井と本塁打王を争っていた金本知憲も「能見は悪くないよ」とかばう軌道だった。
「能見は悪くない」-。
きっと、あのときマスクをかぶっていた矢野輝弘(燿大)も同じ思いだった。そして、援護の熱情をバットに乗せたのも矢野。直後の五回、左翼席へ文句なしの弾丸ライナーで同点弾を突き刺し「M4」への道筋をつくったのだ。
矢野さん、覚えてます?
21年の正念場…巨人戦で指揮をとる人間に、今は聞けない。
でも、きっと覚えている。
そうだ。皆さん、覚えてます?
05年といえば、今年と同じく、阪神はウエスタン・リーグも制したことを。1軍で12試合に先発し4勝1敗、1ホールド。その4勝目を広島市民球場で挙げた能見は実はファームでも10試合に登板し3勝0敗、防御率1・42(勝率10割)…そんな記録を残し、親子優勝に貢献していたのだ。
今季の阪神には社会人出身のルーキーが2人いる。彼らは1軍戦力として矢野阪神で新人王候補になるほどの逸材…その1人、中野拓夢が窮地を救った夜に、能見の言葉を思い出した。
「05年?自分が優勝メンバーの一員だったという思いはありませんでした。貢献できたといえる数字はありませんでしたので。だから、もう一度…」
昨秋、能見は請われてオリックスへ移籍した。だから、僕も拍手で彼を見送った。しかし、できるなら「阪神のエース」として巨人を倒し、頂上の景色を見てみたかったはずだ。それが、阪神で輝かしい足跡を刻んだ背番号14の唯一の心残り…かもしれない。
ウエスタン・リーグ優勝を果たした平田阪神にルーキー中野の成績が残らない21年である。巨人を倒した矢野阪神のVメンバー、その主力だったと胸を張るシーズンであれ…。=敬称略=