キットンジャパンの夢

 【7月21日】

 13年前の夏、僕は成田空港で日本の4番を出迎えた。星野ジャパンが無残に散った北京からの傷心帰国。新井貴浩がやつれた顔で到着ゲートに現れた光景をつい昨日のことのように思い出す。

 日本野球が金メダルを狙った2008年、表彰台にすら立てなかった憂いを晴らしてくれたのが、女子ソフトボールの快挙だった。上野由岐子が突き上げた拳に酔いしれたあの日から時代は移ろい、北京のヒロインが年輪を重ねたことを、少し皺の混じった相好で知らされた朝…東京オリンピックの「幕」が清々しく開いた。

 この大会期間、当欄はオリンピアンのドラマを追う。その一発目は、北京大会以来復活したソフトボール。全ての競技に先駆けて福島でスタートし、日本は初戦に完勝したわけだが、コロナ禍に明るいニュースを運んでくれたのは、干支が一回りしてもエースのまま帰ってきた背番号17だった。

 「背負っているものをすべて受け止めることができていて楽しめています」

 上野のそんなコメントに、現地福島からNHKで解説した藤川球児は言った。

 「『楽しい』というのは、力がないと言えないことですよね」

 そういえば、歴史的なプレーボールを前に始球式を担ったいわき市の中学3年生・桑原真愛選手も「緊張しない」と話していた。北京の金メダルは彼女が2歳の夏。ということは、今の中学生は上野の名を知らないのか…いや、知っているようだ。

 「中学体育実技」(学研)なる中学保健体育で採用される教科書、その「ソフトボール」の頁には、日本代表の赤いユニホームをまとう上野の写真が大きく掲載されている。彼女がこの国を代表する、この国で一番力のある選手です-教科書が語る。ソフトボールに疎くとも13年前のメダルを知らなくとも、上野の顔と名前は知っている。それが今の小中学生なのだ。

 「ソフトボールは、13年間、時がとまっていましたので…」

 この日ホームランを放った藤田倭はそう語った。藤田といえば、投打の二刀流。上野とのダブルエース格として今大会に挑んでいるが、この両輪がとまっていた時計の針を再び動かしたのだ。

 ニッポン白星スタート…

 あれ?ソフトボール日本代表の愛称って何?という方に「ソフトジャパンです」とお伝えしても、イマイチしっくりこないようだ。

 前述の教科書によれば、ソフトボールの歴史は、米国の消防局員が消防士の余暇のスポーツとしてインドアベースボールに似た「キットンベースボール」を考案し、それも由来となったそうだ。「キットン」とは「おてんば娘」という意があり、女性ができるゲームというところからそう呼ばれたのだとか。おてんば=少女・娘が周囲に気おくれせず、活発に元気よく動き回ること-つまり「緊張」なんて似合わないし、「楽しむ」原型のような。「キットンジャパン」…そんな愛称もいいなと思うけれど、どうだろう。=敬称略=

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