「4番」は育たないものか?
【6月29日】
『野村ノート』(小学館)を読んだ。09年初版とあるが、僕が買ったのは何年前だったか。本棚に眠る分、カバーの色がくすんでいるけれど、何度読み返しても、その中身はくすまない。
「4番とかエースは育てられませんよ」
『野村ノート』の145ページ目。メジャーな野村語録がここに収められている。
〈阪神70年の歴史で、4番バッターを思い起こしてください。最近ではバースだ、(トーマス・)オマリーだ、田淵(幸一)だ、彼らは阪神が育てたのですか。連れてきたんじゃないですか。唯一掛布だけは育てたといってもいい。ならば次の掛布が育つまであと60年、70年待ちますか〉
これは阪神監督3年目を迎えたノムさんが、当時のオーナー久万俊二郎と会談した際に直言したものである。
〈巨人だって、そうだ。長嶋、王、原、4番を務めた打者はみな即戦力として入ってきた。松井は高卒だが、彼の高校時代の能力からすれば十分即戦力だった〉
野村克也の追悼試合に、この言葉を噛みしめてみる。
連敗を「3」で止めたヤクルト戦で大山悠輔はノーヒットに終わった。4番…いや、6番の大山に快音は響かなかったのだ。
大山から始まり、大山で終わった打者一巡…二回7連打の猛攻で蚊帳の外だった背番号3は何を思うだろうか。
今季70試合目で初めて4番にすわったJ・サンズはこの7連打に加わり、見事なタイムリーを放った。打線が機能したと書いて良い夜…まず、矢野燿大とヘッドコーチ井上一樹が4番を代えたことにとやかく言うことはない。
それでも、僕個人の思いとして書かせてもらうなら、それでも大山を4番で…これまでも何度も書いているし、矢野が読んでいれば「風はまた書いとる」と笑われそうだけど、正直な気持ちだ。
なぜかといえば、まさにノムさんの語ったように、「4番は育てられないから」である。
「野村監督がいなければ、僕がこうして監督としてやることもなかったと思う。(野村)監督の教えをやっていければいいな、と。(大山6番?)気分転換とか、悔しさが(4番を)外すことで出てきたらいいかなと思って…」
矢野は試合後、そう語った。当たり前だけど、僕なんかよりずっと悠輔のことを分かっている人がそう言うのだから、そのやり方が最善なんだと思う。それでも…。
いや、悠輔マニアでは決してない。チーム全体のことを考えていないといわれるかもしれないけれど、僕は悠輔には「4番のまま悔しがってほしい」のだ。
〈ヤクルトと阪神では選手の質が明らかに異なった。能力ではない。環境が与えた選手の自覚、いわば精神年齢といったらいいのだろうか。ヤクルトが大人なら阪神は子供、それくらい阪神の選手は甘え体質だった〉
これについては次回。=敬称略=