大人に伝えたい
【6月15日】
仙台の楽天戦まで4カ月取り置いた新聞がある。宜野座キャンプ中に買った沖縄タイムスがそれ。同紙に掲載された「東日本大震災から10年」の特集記事である。タイトルは「大人に伝えたい」-。
2月24日付の沖縄タイムスは、16、17面見開きで被災地の高校生からのメッセージを紹介した。
(震災)当時幼かった子どもたちは大人になった。復興に取り組む人たちや、変わりゆく町を見て何を感じたのか。被災地の高校に通う2年生に、大人へ伝えたいことを書いてもらった-。
同紙が岩手、宮城、福島の高校生に実施したアンケートだけど、彼らが伝えたい「大人」のなかに「メディア」も含まれていた。
例えば…
報道関係者へ
お涙頂戴のストーリーだけを報道しないでほしい。家族を失ったところから頑張ったストーリーを見せ物にするな。皆それぞれ抱えて生きている。つらい経験に価値の差はない(17歳)
例えば…
記者へ
震災経験を語り継ぎたい人とそうではない人がいるのだから、何でもかんでも“震災”としてカメラや記事に収めるのが本当に正しいのか考えてほしい(17歳女子)
ほかにもあった。
「報道関係者」であり「記者」である当方は、これを読んで立ち止まらないわけにはいかない。
様々な被災地へ「頑張れ」「負けるな」…記者として、そんな類を文字にしないようにしてきた。
阪神・淡路大震災から間なしの95年4月に、神戸に本社を置くデイリースポーツに入社した。夏場に内定していた会社(新聞会館=本社ビル)が決壊する惨事、身内が被災する大難を目の当たりにした。当時学生だった当事者にとって「頑張れ」は響かなかった。
東日本大震災後、仙台で津波にのまれた女性と会えることになった。東北育ちの虎党、アニキファンである彼女と、金本知憲と共に仙台市青葉区で対面した。ドライブ中に被災し、車ごと流されたが奇跡的に生還したと聞いた。命を奪われた知人、家を失った仲間…生々しい声に触れた。「見せ物にしないで」「何でもかんでも記事にしないで」-。女性は僕が同席した手前、そうとは言わなかったが、肌感で伝わるものがあった。
東北福祉大卒の金本知憲や矢野燿大が仙台で活躍すれば、どうしても、大震災と結びつける。そして今なら、祖父母が宮城で暮らす佐藤輝明が本塁打を放てば…。
事実を書く、また、表現することは自由。が、しかし、である。
なぜ、東北の震災を書くのか。惨劇を風化させないため?被災地のファンを勇気づけるため?
あれから10年。楽天が首位をゆけば…。阪神の怪物新人が躍動すれば…。僕がドラマ化しなくても仙台の野球ファンは笑顔になる。
あのとき金本と共に会った仙台の女性に連絡がつかない。他の方法で呼び掛けても音沙汰はない。元気で矢野阪神の進撃を見ていてくれればと思う。=敬称略=