出会えて良かった

 【12月25日】

 上本博紀から電話があったのは何日前だったか。所用で神戸へ向かう道中、車を路肩にとめて心の準備を整えた。何を聞いても、つとめて明るく…とっさに言い聞かせながら、スマホを耳に当てた。

 「風さん、長い間、お世話になりました。来年からアカデミーのほうで頑張ります。それと…いつも僕の記事、ありがとうございました。家族とか、周りの人間が本当に喜んでくれて…」

 12年間、お疲れさま…。

 元気な声が聞けて良かった。

 そう伝えると、受話器越しに彼らしい笑みが返ってきた。

 上本博紀という選手は、僕にとって特別な存在だった。当欄でそんなことを書く度、後輩記者からよくワケを聞かれた。

 いいヤツ(人間)だから…そう言ってごまかしてきたのは、話して全て伝わるものではないと思っていたから。だから当欄でも…とはいえ、これが最後になるかも…だから、きょうは予定を変えて、僕の知る上本を伝えてみたい。

 新しい記憶でいえば、今季、DeNA戦でのエピソードである。

 大和がヒットで二塁へ進むと、ベース上でこんな会話があった。

 上本「足、どしたん?」

 大和「ちょっとやばいかも…。(全力で)走るときつくて…」

 このとき、大和は太腿(ふともも)を痛めていた。ベースランニングを見て異変に気付いた二塁手の上本は、かつての僚友を思いやり、その夜、電話を入れた。

 「俺の治療器、使えよ」-。

 大和に届けられた100万円超の高周波治療器で大和の患部は間もなく完治。「あの人、自分の体のこともあるのに…」。移籍3年目の名手は僕にそう語っていた。

 FA宣言した大和が悩み抜き、DeNA入りを決断した17年冬。人知れず、上本は大和が暮らす芦屋の自宅へ駆けつけ、餞別(せんべつ)を手渡していた。「わざわざ家まで来てくれて、シャツとネクタイを…」。大和は今年もそのアイテムを遠征で愛用していた。

 前述した治療器でいえば、上本は昨年、近本光司にも提供し…って、この欄では書き切れない。

 「阪神ではポジションがかぶっていたけど、活躍したら嬉しいと思える選手でした。ちょっと他の選手とは違う感覚…人柄ですね」

 大和のこの思い、よく分かる。

 僕が上本を初めてメシに誘ったのは彼の2年目、2010年春のキャンプ。「個室??そんなの要りませんよ」。沖縄具志川の郷土料理屋で、キャプテンを担った広陵、早大時代の話を…二人でどれくらい話しただろう。時間を忘れ聞き入った10年前が懐かしい。

 その年の9月にマツダスタジアムで書いた「上本初スタメン初猛打賞」は僕の一番大切な1面だ。あの夏…同郷で上本ファンだった旧知の野球少年が事故で他界。弔いを胸に放った3安打だった。 

 「甲子園に招待したかった…。風さん、書いてください」-。

 本音をいえば、もう少しだけ、見ていたかった。でも…ありがとう。上本博紀を書けて、上本博紀に会えて、良かった。=敬称略=

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