球児が向かった場所
【11月10日】
あれは僕だけが見た藤川球児だった。今もそう思い込んでいる。ときは12年前の秋。場所は旧広島市民球場。広島対阪神⑳戦のゲーム前に、球児が「ん?」という行動に出た。どこへ行くんだ…。
岡田阪神不動のクローザーとしして君臨した08年である。開幕から球団新記録の11連続セーブを挙げるなど38セーブ。自己最高の防御率0・67と抜群の安定感を誇ったシーズンは、球児の年表に深く刻まれる。そんな年だからデイリースポーツも毎日紙面のどこかに球児原稿を掲載していたのだが、あの日は一行も載らなかった。いや、載せなかった。いつか、特別な日のために取っておこうと…。
あのとき市民球場の三塁ベンチ前から投手調整を眺めていると、球児が独り、ライトのファウルゾーンへ歩み、次の瞬間、消えた。
あそこは、カープのブルペンだよな…。ビジターチームの選手がホームチームの施設に足を踏み入れる。なかなかないことだけど、それがあまりに自然の振る舞いで誰も気付いていなかったように思う。メディアは入れない場所なので球児が敵軍のブルペンで何をしていたのか伺い知れない。だから本人に聞いてみるしかなかった。
「あ、あれはね、津田さんのプレートを見に行ったんですよ…」
08年9月7日は阪神にとって、同シーズン限りで閉場した広島市民球場でのラストゲーム。
「もうここに来るのも最後なんでね…」
炎のストッパー津田恒実の功績を記念してカープのブルペンに掲げられた「津田プレート」。その後マツダスタジアムに移設されたけれど、球児は、旧広島市民球場とともにあった亡きレジェンドに「別れ」を告げに行ったのだ。
津田の座右の銘「弱気は最大の敵」について球児に聞けば、こう言うのだ。
「あの言葉ね、昔、親父から言われてたんですよ。本を貰ってね…。僕の中でずっと大切にしている言葉なんでね…」
この話、取っておこう。そう思い、12年前は書かなかった。温めておいた。そうしたらどうだ。先週の土曜日、球児が引退記念にマツダスタジアムの津田プレートに触れた写真をSNSにアップしてるじゃないか。嗚呼、そのネタだけは…というわけで、とっておきの話を自慢げに記せなくなった。
当方が書いた原稿で一度だけ球児に謝ったことがある。
カブスへ移籍した球児を追ってアリゾナへ飛んだ13年の春。古巣阪神の話を聞いて本紙で大展開したのだが、のちに、球児が「タイガースを離れた自分がタイガースを論じるのはおかしい…」とかねて語っていたことを知った。
本当に申し訳なかった…。ある日、阪神に復帰した球児に頭を下げると、球児は笑っていた。
「そんなことありましたね…」
これからは、ずっとタイガースの「一員」として、あなたの愛するタイガースを語ってほしい。
弱気は最大の敵…その魂、その炎を火の玉に代えたストレートよ永遠に…。=敬称略=