この歓喜を本物に!
【10月26日】
サプライズはなかった。阪神は1巡目で佐藤輝明を指名し、矢野燿大が大仕事をした。テレビの前の阪神ファンは鳥肌が立ったに違いない。熾烈な競合で勝利したのは藤浪晋太郎以来なのだから。
会場のグランドプリンスホテル新高輪で取材できない異例のドラフトは、何だか不思議な感じがした。コロナ禍によって新聞用の会見はすべてリモート。毎年ドラフトの舞台裏を書いてきた当欄なので現場へ入れないのは痛い。スカウト陣はもちろん球団幹部に直電するわけにもいかず、しかも、例年なら響く会場の声も、そもそも無観客だから聞こえてこない。
「あのときのブーイング?もちろん、聞こえてたよ」
4年前のドラフトが懐かしくなり、ときの将・金本知憲にこの日聞いてみた。そう、大方の予想を覆し、阪神が白鴎大の大山悠輔を単独で1位指名した年の話だ。
「(当時の)坂井オーナー、四藤球団社長の了承を得て決めたんだよ。ウエーバー(方式)だから大山は2位指名では(他球団に)先に獲られる。俺の思いでは大成功のドラフトだったんだけど、批判が多くて逆にびっくりした」
阪神1位、佐々木千隼-。
16年秋のドラフト当日、僕は本紙1面でそう報じた。けれど、確かに金本は「佐々木でいく」とは一度も公言していなかった。
あのドラフト前日、グランドプリンスホテル新高輪の一室で、スカウト陣が中心となった「チーム阪神」は深夜まで議論をぶつけあい、最終的には金本が決断した。佐々木千隼(現ロッテ)、田中正義(現ソフトバンク)に人気が集中した大学生投手豊作のドラフトで、阪神は大山の単独指名に踏み切ったのだ。
「生え抜きの野手のレギュラーが鳥谷以来出てきていなかったから、野手のレギュラーをつくらないといけない。ずっとそう思っていたから、高山、大山と2年連続で野手を1位でいったんよ」
さて、今回のドラフトは1位=佐藤ですんなり決まったのか。取材の限り、そうではなかった。
本紙も26日紙面で報じたようにアマNo.1左腕・早大の早川隆久を推す声もあり、最終決定は深夜どころか日をまたぎ、当日の昼過ぎまで激論がかわされていた。では矢野燿大の心はどうだったのか。これも当方の取材だが、26日昼までに矢野の決断は佐藤へ傾き、だからこそ、黄金のクジを引き当てた瞬間、指揮官は渾身のガッツポーズに歓喜を込めたのだ。
これで全国から阪神に注目が集まる。大卒野手では原辰徳以来となる4球団競合の逸材を、甲子園という左のスラッガーには過酷な球場でどんなふうに超一流に育てあげるのか。球団、そして矢野の使命感はハンパないはずだ。
4年前のドラフトは当時、大山の1位指名に悲観したファンも多かったかもしれない。が、今はどうだろう。外れの外れ1位で近本光司を獲った2年前もしかりだ。鳥肌を立てた虎党を裏切らないドラフトになるかどうか。それは今決められない。=敬称略=