のび太の恐竜と「同期」の…

 【3月21日】

 新型ウイルスの感染拡大を受け公開延期が発表された映画『ドラえもん のび太の新恐竜』の公開日が、今夏8月7日に決まった。ついに、ドラえもんにまで影響が及んだコロナ禍に思うこと……。 この春公開予定だった『のび太の新恐竜』を心待ちにしていた子ども達も大勢いたと思う。わが家も例外ではない。これまで数々の名作が上映されたドラえもんシリーズだけど、今回は記念すべき第40作目。なぜ、『のび太の“新”恐竜』なのか。知らない子ども達も当然ながら、多いだろう。

 40年前の春、当時小学3年だった僕は、クラスメートとともに映画『のび太の恐竜』を観た。1980年3月に公開されたシリーズ第1作目である。あの頃、めちゃめちゃ恐竜にハマっていたので、楽しみは倍。のび太が寝床で孵化させた恐竜「ぴー助」が、エラスモサウルス科に属するフタバスズキリュウ(双葉鈴木竜)であることを知ると、得意げにその知識を友達にひけらかしたものだ。

 ちなみに、映画『「新」恐竜』もフタバスズキリュウに変わりはないそうだから、あらためて知識をひけらかせば、フタバ-が福島県いわき市で鈴木直によって発掘されたのは、1968年。当方の2つ〈センパイ〉である。

 「のび太の恐竜」と同じ、1968年生まれの〈恐将〉がしのぎを削る2020年である。

 「恐い」監督なんて書くと、矢野燿大から…いや、高津臣吾からも当欄へ抗議をもらいそうだ。

 本紙の新ヤクルト担当によれば「高津さんは普段から選手のことをもの凄く気にかけていることが分かりますし、フランクで笑顔も多いので矢野さんと通ずるところがあると思います」なのだとか。

 そこまでいわれると、へそ曲がりな僕は斜めから見てしまう。

 矢野という指揮官は決して「今の顔」が素顔ではない。現役時代を知る者としていわせてもらえれば、勝負事に妥協を許さない、厳しい顔をもつ男。背番号39の司令塔は敗戦後の取材がとても〈恐かった〉選手である。監督に就くにあたり、矢野は僕に言っていた。

 「俺は変わるからな」-。

 高津の本性を知らないので「本来は恐い人」などと臆測で書くことはできない。だから、高津という人を知る為に本を買ってみた。

 「最終回のしびれる場面を迎えて打者が思いきりバットを振れるかどうか。投手が2死満塁、しかも3-2のカウントで目いっぱい腕を振ってストレートを投げられる環境を用意できるかどうかは、周りにいる大人たちの仕事」

 これは、高津が著書『二軍監督の仕事 育てるためなら負けてもいい』(光文社新書)で語っているコトバ。同著書で「僕は負けず嫌い」と何度も語っているように高津の「今の顔」は素顔じゃない(はず)。矢野と同じく2軍監督を経て今の立場に就いた高津も、きっと「変わった」のだと思う。 しびれる場面で思いきりバットを振れた植田海に拍手をおくりながら、「51歳対決」が楽しみな20年シーズンである。=敬称略=

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