ローマで読んだ1面

 【3月11日】

 ローマテルミニ駅で本紙イタリア通信員赤星敬子と待ち合わせ、国営鉄道フェッロヴィーエ・デッロ・スタート(現在のトレニタリア)でウンブリア州ペルージャへ向かった。1999年のことだ。

 セリエAの助っ人・中田英寿を追った年である。現地で赤星に大変世話になり、今もその映像を見るにつけ、当時を思い出す。新型ウイルスの感染拡大が欧州で最も深刻なイタリアでは、感染対策として人口1000万人のロンバルディア州全域や国内北部はじめ全土を4月3日まで封鎖。人が消えてしまったミラノの風景をニュースなんかで見れば、胸が痛む…。

 21年前、日本からイタリアへ持っていったデイリーを赤星に手渡すと、ミラノ在住の彼女は「日本の紙面を見るの、久しぶり。この感じ、懐かしい」と喜んでいた。

 「この感じ」とは、阪神タイガースをトップで報じる「ブレない感じ」である。イタリアの列車で猛虎の新助っ人を報じる1面を読む。思えば、なかなか希なシチュエーションだ。ノムさんが見守る中、フリー打撃を行うマーク・ジョンソン-そんな写真が表紙を飾っていたことをよく覚えている。

 打率・253、20本塁打、66打点。これは、ジョンソンが阪神で残した初年度の成績である。知将野村克也にクリーンアップを任された左打者で、主に一塁を守った新助っ人がどんな選手だったか、読者の方は覚えているだろうか。 巨人との開幕カードで2戦連発…田淵幸一以来となる巨人戦4試合連続アーチを記録したJ砲は、メジャー復帰を目指し一年限りで米国へ帰ってしまったけれど、甲子園では不利といわれる左打ちでよくやった。来日初年度に20本塁打した左打者の助っ人といえば、M・ラインバック(76年=22本)やR・バース(83年=35本)、T・オマリー(91年=21本)くらいしか思い出せないが、彼らのときは甲子園にラッキーゾーンが存在した。ジョンソンは立派である。

 1年目から20本塁打??

 そんなん、軽いもんだろ!

 これが宜野座キャンプ初日にジャスティン・ボーアを見た方々の大方の〈予想〉だったと思う。

 「今年の2人、ボーアとサンズをどう見られます?風さんの見解を聞かせてもらえませんか?」

 阪神球団社長の揚塩健治からそう聞かれたのは、2月の終わり。

 2人……ですか?僕は3人の中でマルテが一番やると思います。

 こう、返した。キャンプで3選手を見てきたエラそうな感想である。「やる」というのはVに貢献するという意。甲子園で有利な右打者だけど30発は期待できない。但し、試合に出続ければマルテの2年目は輝くものになる。大山がずっと三塁を守るべきだと思うのでマルテは一塁…これが、私見。

 期待のボーアは苦しみそう。評論家諸氏の評価がすこぶる高かったサンズはもっと苦しみそう。2月の彼らを見てそう思った。ただ今回の開幕延期で様相が一変するかも…。その根拠は、また。そして中止が決まったセンバツについても、また書きたい。=敬称略=

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