バレンタインデーに鳥谷を
【3月10日】
あれはバレンタインデーの昼下がり。宜野座で阪神キャンプを取材中にケータイが鳴った。沖縄の知人がLINEで「いま、鳥谷選手を見たよ」という。どこで??そう返すと、「那覇空港」と…。
鳥谷敬がロッテのユニホームを着ることになった。背番号は00だという。同球団本部長の松本尚樹によれば「もう一度ゼロからスタートして欲しい、という意味で提示した」そうだ。獲得理由のひとつに、「1年間戦う上でチームに厚みを増したかった」とも。
厚み。この言葉は色んな解釈ができる。誰に聞けば、この厚みをうまく説明してくれるだろうか。
「あれは、たぶん、鳥谷選手だよ」-。ひと月前、沖縄の知人はそう言っていた。たぶん……か。でも、なぜ、いまシュウカツ中の鳥谷が沖縄にいるのだろう-。
その後の取材の限りを書けば、鳥谷敬は2月13日の夕方に沖縄入りし、ロッテのフロントと接触。最終的な契約交渉を行ったとみられる。鳥谷は翌14日の昼過ぎには沖縄を離れているので滞在時間は24時間弱。だから、知人が目撃したのは、帰路につく鳥谷-ということになる。こんなことを書いて誤っていれば、ロッテ広報メディア室長の梶原紀章から抗議の電話がかかってくるかも。だから、絶対そうだったとは書かない。きっとそうだった…と書いておく。
「う~ん。沢山あり過ぎるんですよね…。でも、ああいう偉大な人がいたから、自分はその人を目標にやってきましたし、結局、自分はショートのポジションを獲ることはできなかったですけど、あの人と一緒にプレーして、見て学ぶことのほうが多かったです」
DeNAとのオープン戦が中止になったこの日、大和から聞いた鳥谷敬への敬意を書いてみる。
僕が大和にぶつけたのは、阪神時代の先輩鳥谷から学んだこと-そんな月並みな問いだ。
「この歳まで(鳥谷に)あれこれ聞くことがなくて、歳を重ねるごとに話を聞くようになったので…。自分が阪神にいたときにもっとコミュニケーションをとったりできたら良かったなと思うことはいっぱいあります。そこは後悔です。自主トレに誘ってもらって一緒にトレーニングをやらせてもらって、(鳥谷が)こんな考え方を持ってやっているのだから、そりゃこの人には勝てないな…って」
ポジションがかぶるだけに、易々と「教えてください」ともいえなかった阪神時代である。FAで鳥谷のもとを去った大和は今になって、かつてチームメートだったかけがえのない存在を思うのだ。
「どうやったらあれだけ試合に出られるのか、とか、どうやったら野球に対するああいう考え方ができるのか…とか。結果にかかわらず、トリさんのああいう取り組む姿勢というのは絶対に誰しもが見ているので…。だんだん考え方は近づいた?いや、レベルが違いすぎます。トリさんはそれだけ成績を残せるであろう人ですから」
これが千葉ロッテが欲した厚みなのだろう。予告していた虎の新助っ人評は明日…。=敬称略=