糸井嘉男の決心を聞いた

 【2月25日】

 沖縄で髪を切った。1月末から30泊もすればモミアゲは不揃いになるし、モサモサしてくるので、スッキリ整えて最終日を迎えたかった。その待ち時間、理髪店の雑誌をパラパラめくっていると…。

 「あの決断、やり直せたら、俺は今頃…」。『週刊ポスト』の特集「球界レジェンドの告白」で6人のプロ野球OBが野球人生の分岐点を綴っている。その一人広沢克実は「『FAで巨人に行ってなければ』と考えることがある」のだとか。当時、広沢が在籍したヤクルトの将・野村克也から「巨人の体質を考えたらいかない方がいい」と反対されたという。残っていれば「もっと野村理論を身につけられた」と広沢は断言する。

 FA選手の悲喜こもごもは球界に散見される。『ポスト』の記事を読みながらいま、宜野座で汗を流すFA戦士を指で数えてみる。

 阪神の体質を考えたらいかないほうがいい-。果たして4年前の秋、ノムさんは同郷のかわいい後輩にそんな助言をしただろうか。

 「私は彼が日本ハムで活躍するまで、そんな選手がわが故郷にいたことさえ知らなかった」「彼が(京都府立宮津)高校を卒業した1999年、私は阪神タイガースの監督を務めていた」「彼を自由獲得枠で取った(日本ハムの)スカウトは、ボーナスものである」

 野村は『週刊ベースボール』のインタビューでそう語ったことがある。彼=糸井嘉男である。

 つまり、阪神監督時代のノムさんは「糸井の存在を知っていればドラフト指名していた」と言いたかった。昔、糸井の祖父が自身の体育教師だったなんてのも、ノムさんは後に知るのだけど、虎党だった嘉男少年と阪神・野村監督の〈縁〉は、運命のイタズラによって結ばれることはなかった。

 「終わりますね!」

 宜野座ドームの傍らで糸井は僕に言った。16年秋にFAで阪神入りし、今年が契約最終年。糸井が言う「終わり」はもちろん「キャンプもいよいよ打ち上げですね」の意なんだけど、僕は、阪神4年目となる彼の決心を聞いた。

 昨年はペナントレースの第4コーナーで不慮の故障に泣いた糸井嘉男である。今年にかける決意のスイッチはいつから入ったのか。

 糸井「やっぱり、キャンプ。それまでもやることはやってましたけど、ユニホームを着ると、やっぱり(気持ちが)ちゃいますよ」

 昨夏、広島戦で二盗を試みた際に左足首を負傷。10月に手術を余儀なくされる重傷だった。

 糸井「もう、できないんじゃないかって。全然治らなかったので…。だから手術に踏み切るのは気持ち的にはすんなりでした。(ケガ直後は)痛かろうが(登録抹消後最短復帰の)10日で戻る気持ちでいたので…本気で。ただその我慢ができないくらい痛かった…」

 先日初出場したオープン戦で2打数2安打発進。術後の不安がないといえばウソになるけれど、故郷の英雄が虎将時代に欲した男は沖縄を去る前日、僕に言った。

 「完全復活する気持ちで…」=敬称略=

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