菊池涼介に会いに…

 【2月10日】

 カッパ~~ン。打った瞬間それと分かる衝突音だった。ここは日南…ではなく、カープ2軍がキャンプを張る沖縄市のコザしんきんスタジアム。只今2軍で調整中の背番号33は、やはり元気だった。

 「あれ、風さん、どうしたんですか?きょうは、阪神休み?」

 あなたを見るために…とは言わず、試合形式のシート打撃でカメラを向けたのだけど、報道陣が誰も居ないカメラマン席から、菊池涼介の「20年1号」を収めることができて、ラッキーでした。

 菊池自ら「メジャー挑戦」を表明した昨年、当欄で「複雑な気持ち」と書いた。本場で彼のプレーを見たい一方で「カープ菊池」との別れは寂しい…。まぁ身勝手を承知で文字にしたのだが、残ってくれた今の気持ちはといえば、素直に嬉しかったりする。

 室内練習場の脇で少しだけ菊池に昔話を聞かせてもらった。

 「スーパーな守り」ではなく、バッティングについて。

 大卒でプロ入りした菊池は、想像通り、やはり当初は「守り」からチャンスを掴もうとしていたそうだ。その前評判を知らなかったプロ野球のレジェンドが初めて菊池を見て語った言葉を思い出す。

 「あれ、誰?あの、33番の選手よ。いい形で打っとるよなぁ」

 賛辞の主は、金本知憲である。

 12年に現役を引退した金本は翌13年の2月、デイリースポーツの評論家として初めて各球団のキャンプ地を訪問。最初に訪れたコザしんきんスタジアムで当時2年目の若鯉に一目惚れしたのだ。

 評論担当で同行していた僕は名鑑を見て菊池のキャリア、特性を伝えると、金本はこう言った。

 「もともと守備がええんか…。あのバッティング、通用するぞ」

 その通りになったことは、読者の皆さんもご承知の通り。

 「金本さん、そんなこと言われてたんですね…」

 7年越しで菊池本人に伝えると「へぇ…」と驚いていた。

 「積極性ということだけは謙二郎さん(当時カープ監督の野村謙二郎)の評価としてあったから、それだけは失わないようにやろうという、そんなイメージですかねあの頃の僕といえば…。力がついたとか、打てるようになったとかっていうのは、もう結果であってね。初球のまっすぐをバチッと打てるという積極性だけは、あの頃ずっと持っていましたけど…」

 中京学院大時代はクリーンアップを任され、三冠王を獲得するほどのキャリアでプロ入りしたが、菊池は「大学時代にある程度自信があっても、この世界に入ってきたら僕のようなレベルなんて全然でしたから」と振り返る。

 「TOKYO 2020」に欠かせない侍である。例年以上に注目を浴びる今季、おそらく本人への取材は五輪一色になると思う。明日1軍が沖縄へ合流するカープだから、ゆっくり話を聞けるのは今しかない。そんな思いで安芸から沖縄へ戻ったわけだけど、彼と話しているうちに、若虎にも通ずる言葉が…。続きは次回の当欄で書きたい。=敬称略=

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