まだまだ、どうにでもなる

 【2月4日】

 宜野座の記者席から試合形式のシート打撃を見ていると、スタンドからこんな歓声が飛んだ。

 「よっ!開幕バッテリー!」

 捕手は梅野隆太郎、マウンドには藤浪晋太郎が立っていた。

 晋太郎復活の20年へ、キャンプ最初の登板をどう見るか。矢野燿大ら首脳陣の目、ネット裏に陣取った他球団007の目、野球評論家の目、メディアの目、そして観客の目…百人百様の見方がある。

 最速154キロの直球について、味方打線に投じた12球について、当方は〈自己採点〉のコメントを聞きたいとは思わない。近年の成績を踏まえれば、本人に多少の焦燥があっても不思議ではないが、こちらの筆は焦ることはない。

 ファンの期待感と同様、僕も彼に開幕投手を託したい気持ちをずっと抱いている。だから、矢野の「優勝宣言」ではないけれど、当欄も言い(書き)切ってみる。

 藤浪晋太郎は必ず復活する。

 昨年、一度きりだった1軍マウンドで、晋太郎は甲子園の観客席から大きな歓声と声援、拍手をもらった。直にそれを聞いていた僕は〈一記者にもかかわらず〉何だかジーンとなった。聞いたところあれが本人の心にはずっと染みているそうで、間違いなく、復活へのモチベーションになっている。

 「まだまだどうにでもなるよ」

 宜野座の記者席で隣だった阪神OBの亀山努が、晋太郎を眺めながら、僕につぶやいた。

 そう、そう。亀山といえば今やちょっとした「時の人」である。

 大相撲初場所で幕尻優勝した奈良出身の徳勝龍が「親子で虎党」であることを明かし、子どもの頃のスターを「亀山さん」と言っちゃったものだから、20数年ぶりにスポットライトが当たってしまったのだ。90年代の「亀新フィーバー」は関西では社会現象になったし、それくらい亀と新の両雄は強烈なインパクトをはなっていた。

 ただ、僕の亀山に対する印象は「もう一度輝いて欲しかったスター」である。フィーバー後の低迷が影を落とした悲劇のヒーローであり、寂しかった記憶がある。

 それこそ、あれは僕がデイリースポーツに入社して間もない頃、故障も重なり輝きを失っていた亀山は、鳴尾浜球場で外野の草むしりを強いられたことがあった。練習に遅刻した「ペナルティー」である。そして、追い打ちをかけるように、当時、阪神2軍監督だった野田征稔から忘れがたい〈名台詞〉を浴びせられたのだ。

 「亀よ、お前、昔は金のようにキラキラと輝いていたのにな…。その金が銀になり、銀が次第に銅になり、今ではどうにもならん」

 銅にもならん……って、野田さんうまいこと言ったよな。いや、感心しちゃ、亀山に悪いか…。

 まだまだ、どうにでもなる-。

 かつて失意のどん底へ追いやられた亀山が藤浪晋太郎を思う。

 徳勝龍のエピソードではないけれど、晋太郎に憧れる少年の数はきっと亀山へのそれを凌駕する。あの甲子園の歓声を力に変える決意を、少なくとも僕は晋太郎の面構えに感じている。=敬称略=

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