6年で30勝と50勝

 【9月16日】

 きのう「9・15」のことを書いたので、きょうは「9・16」のことを書こうと思う。阪神で「9月16日」といえば…皆さん、どんな記念日を思い浮かべます?僕はこの日を一生忘れることはなく…。

 あれは、06年9月16日。当方は家庭の事情で仕事を休み、西宮市内の病院で一夜を過ごしていた。病室のテレビで阪神戦に目を凝らし、「やばい。やばいな、これは…」と、イヤな汗をかいたことがついきのうのことのよう…。

 「プロ23年目!昭和40年生まれ41歳1カ月!山本昌広、ノーヒットノーラン!準完全試合達成!」

 実況アナの雄叫びが病室に響き渡ったとき、それまで回を追うごとに募った無念の感情はどこかへ消え、ドラゴンズの大投手に対しただ、ただ、拍手を送りたくなっていた。

 1番赤星、2番関本、3番シーツ、4番金本、5番浜中、6番鳥谷、そして、7番に矢野…これが9・16の阪神オーダーである。前年のVメンバーがほぼ残った戦力で最後まで優勝争いを繰り広げたが、最終順位は2位。堂々84勝を挙げたシーズンだったけれど、9・16にナゴヤでノーノーを食らい虎党は意気消沈してしまった…。

 「自分には縁がない記録だと思っていました」。山本昌は大記録達成後のインタビューでそう語っている。高卒で中日入りした左腕は、日大藤沢時代、神奈川の地区大会で完全試合を達成したこともある剛腕だった。だけど、プロ入り後は技巧派に〈変身〉。そのワケは、本人いわく「プロで生き残るため」だった。

 あれから13年。さて、今年の9月16日は…。

 ナゴヤのマウンドに、気になる右腕が立っていた。

 「感覚的には良い感じであるところもありますし、まだまだのところもあります。フォームだったり感覚だったり…」

 ウエスタン・リーグ中日戦で6回8安打3失点。

 藤浪晋太郎の弁である。

 何年かのち、彼が野球人生を振り返ったときに、今年は特別なシーズンに思えるかもしれない。

 2軍首脳によれば、藤浪のウエスタン最終登板は来週のソフトバンク戦(鳴尾浜)になるという。つまり、今シーズン中の再昇格の可能性は薄く、背番号19は19年度を0勝で終えることになるのだ。

 これで、また「環境を変えれば…」云々と、間違いなく周囲は騒がしくなる。それでも、当方は0勝を前向きに捉えよう…と書く。 是非、藤浪には「山本昌のような」野球人生を歩んでもらいたいので、ご批判を覚悟で書けば…何にも騒ぐなくていい!である。

 藤浪は新人から昨シーズンまで6年間で何勝挙げたと思います?

 50勝です。

 では、山本昌は新人から6年間で何勝を挙げたか、ご存じ?

 30勝です。

 〈貯金〉は20もあるじゃない。

 「プロで生き残るため」に藤浪が考え、悩んだ1年。後にそう思えるようになればいい。50歳まで現役とはいわないが。=敬称略=

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