心に溜まった埃を…
【9月13日】
ここ、世界遺産ですよ?
タクシーの運転手さんは、そう言いたげだった。この日、僕の取材先は名古屋ではなく、和歌山。大阪・難波から南海電鉄高野線で2時間超。極楽橋で乗り換え…。
高野山へやってきた。標高867メートル、雲海を見渡す天空のまちである。ケーブルで高野山駅まで上り、タクシーで行き先を告げる。
「どちらへお泊まりですか?」 いえ、日帰りで…。滞在は…あまり長くいられないんです。
(おそらく)60代で、温厚が滲みでる運転手さんは「仕事?あらもったいない。また、ゆっくりいらしてくださいよ」と、気の毒そうにこちらをみつめるのだ。
僕自身二度目の高野山である。
前回も仕事だったので、世界遺産を堪能できず下山したけれど、歩くだけで心が洗われる霊場は、例え仕事であっても、来させていただいて感謝…そんな気持ちになるから不思議だ。
長年この仕事をしていると、高野山の高僧様とも繋がるのだからとっても、ありがたい。
「新井貴浩さんが13日に来られますよ。是非、お越しを…」
先週、そんなお誘いがあり、新井に連絡をとった。昨年現役を引退した男が何をしに高野山へ?
写真を見ていただければ分かるように、そう…護摩行である。
「現役のころから、野球だけのために来ていたわけではないので…。野球をやめても護摩行は続けようと思っていましたから」
新井はそう言って、座禅を組んだ。目の前にたぎる4メートルの火柱はかつての数倍熱く感じたそうだ。それもそのはず。現役時代の荒行は真冬。高野山の山頂とはいえ、今回は9月。夏の炎は別格だ。
2時間超の修行を、5~6メートル離れた畳の間でずっと見させてもらった。立ちこめる煙で、まず目を開けていられなくなる。新井の修行を何度も見てきたけれど、これまでで一番苦しそうに見えた。座椅子がいつもより高かったそうで火柱にも近く、経を声に出せなくなるほど顔がゆがんでいた。
「心の支えですね…。気持ちを締めるための…というか。心に溜まった埃(ほこり)を取るというのが、僕にとっての護摩行です」
野球人である前に…。
新井の心には、いつもこの言葉がある。彼との付き合いはもう20年になるが、リーグ3連覇という「最高の幸せ」をもって現役生活を閉じられたのは、この「心」があったからに違いないと僕は思っているし、新井をよく知る者は皆そう感じているに違いない。
師匠は高野山別格本山「清浄心院」の池口恵観大僧正。鯉党、虎党もよくご存じの方だろう。
「私は、いつか新井くんに監督になってもらいたいなと思っているんですよ。いい野球を皆さんに見せていただければいいなと…」
新井監督か…。いつかは、あるんだろうな、きっと。ん?阪神?いや、それはどうだろう…。
高野山で「メッセンジャー現役引退」の報を聞いた。思うところはあるけれど、彼の心を聞くために、山を下りよう。=敬称略=