重圧を誇りに思える英雄

 【3月22日】

 メジャーリーガーICHIROが誕生した、その場に立ち合ったのは2000年の秋。場所は京都市の任天堂本社だった。同社会長の山内溥がマリナーズの筆頭オーナーを務めた関係で入団会見が古都で行われたわけだが、緊張面だったイチローが時おり見せたハイテンションをよく覚えている。

 フォトセッションでマ軍のユニホームに袖を通すと「ジャーン」と声をあげ、フィギュアスケートばりのジャンプで一回転。51番の背中をコンマ数秒だけカメラに披露したのだ。あの時、27歳。白髪が目立つ45歳までメジャーでやりきった今、少年のように目を輝かせた19年前を懐かしく思う。

 「光栄」「感謝」「自信」…。入団会見のイチロー語録を振り返ってみると、印象的であり、ため息の出る所信表明が見つかる。

 「重圧がかかる選手であることは、誇りです」

 もちろん、用意したメモを読んだわけではない。150人ほど集まった報道陣を前にとっさにこぼれでたプライド…だったと思う。

 プレッシャーに打ち勝ちたい-ではなく、日本野手の先駆者として誰も見たことのない荒波へ立ち向かうオンリーワンの武者震い、ともいうべきか。契約内容は3年総額20億ともいわれていた。ここに書き切れない金字塔は「重圧を誇りに」戦った賜物なのだろう。

 「10人中10人が『無理だろう』と今までも言われてきたんですけれど、それはもう、どんどん言ってもらって構わないんで…」

 こちら、イチローのコメントではない。周囲から「メジャー挑戦なんて無理だ」と笑われ、イチローと同年に海を渡った…そう、新庄剛志はニューヨークメッツへの入団会見でそう語っていた。

 「希代のヒットメーカー」ではなく、「元虎のプリンス」取材でアメリカ大陸を奔走した当方にとって、いろんな意味でイチローは常に遠い存在だった。

 「01年の春ですよね。当時、私は阪神パークの園長でした。イチロー選手がメジャーへ行った同じ年に新庄選手が2000万円でメッツへ移籍したことのほうが私にとっては衝撃でした。チームメートがマイナーへ落ちていく中、必死に、明るく挑戦し続けてメジャーリーガーになった彼のことが実は強烈に印象に残っているんです。あ、イチロー選手の記事には使えないコメントですね…」

 この日、阪神球団社長・揚塩健治と雑談し「イチローの思い出」をたずねてみると…共感。

 前夜の「引退会見」を一言一句聞いてみたが、僕のような凡人には理解を超えるくだりが何カ所もあった。何もかも突き抜け過ぎていて自分に置き換えられない…というのが本音。宇宙人・新庄よりずっと宇宙レベルに映るのだ。

 「賢者の名言」に共感し、自身の肥やしにするプロ野球選手の話を何度か聞いた。でも、果たして「イチローを参考」にできる選手っているのだろうか。重圧がかかる選手であることは誇り-。00年以来、取材ノートに記したことのないコメントである。=敬称略=

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