三振人形に詰まった勲章
【3月16日】
新井貴浩のお父様、お母様から感謝の気持ちを告げられた。
「わざわざ、このために広島まで来てくださったんですか?」
20年間、いつもそうだったけれど、こちらが背を丸め恐縮するほど、このご両親は慎ましやかだ。
こちらのほうこそ…。球場で挨拶するのもこれで最後かな。なんて感傷に浸っていたのは、どうやら僕だけだったかもしれない。
「きょうは、ありがとな。俺の引退撤回セレモニーのために…」
ピンクのネクタイを締めた「本日の主役」がマツダスタジアムに到着すると、挨拶に集った後輩たちへお約束のジョークを見舞う。赤い輪の頬が緩み、あっという間に爆笑の渦…。ここ数年そんなカープファミリーの、よそのチームが羨む一体感を何度も見てきた。
新井引退式の詳細については鯉番の記事をご覧いただくとして、「大した選手ではなかった(本人挨拶文)」男がなぜ一流になれたのか、なぜこれほど仲間に慕われたのか。元新井番として取材し、最後に書かせてもらいたい。
「周りに育てていただいたんですよ。本当にいい出逢いがあったんだと思います。あとは……挫折ですよね。苦しみも、悲しみも味わうことがなければ、成長できませんもんね。大きな失敗を経験して、そこからどれだけ這い上がっていけるか。キレイな言葉ばかりになって申し訳ないですけど…」
背番号25のラストシーンを眺めながらお母様は僕にそう言った。
サプライズのセレモニーでは、ゲストの山本浩二から、新井がフルスイングで三振する姿をトロフィーにした「大三振人形」が贈られた。ミスター赤ヘルが「懐かしいフォームです。見飽きましたけど」とイジると、ねぎらいの大歓声が赤いスタンドでこだました。
NPB記録を検索すると、新井の1693三振はプロ野球歴代6位。そして彼の順位が長嶋茂雄と落合博満の間にある併殺打部門も歴代6位。挫折、失敗…。FAも五輪も、阪神退団も…何度となく立ち合わせてもらったけれど、これらすべて彼の〈勲章〉なのだ。
「心が強ければ打てるかというと、プロ野球はそんなものではないですけどね…。もちろん、心技体、どれも大事だし、3つとも必要。技術が一番だという選手もいると思いますけど、僕の場合は…心が一番大切だったと思います」
打つ、打たない。成功、失敗。それらを分かつものは何だったのか?カープベンチの隣にある用具室で新井に聞くと、そう答えた。
エピローグを目に焼き付けた後輩たちがロッカーへ引き揚げる。菊池涼介に新井のそんな言葉を伝えたところ、こう返してくれた。
「新井さんとは通じ合っている部分が多かったと思いますし、それが、可愛がってくれた一つの要素だったんじゃないかな…って」 菊池から聞いた「それ」については、とても共感できるものなので、明日この続きを書きたい。
書き納めの主題は「心で紡いだ野球人生」か。正直いえば、20年前に取材した新井貴浩を懐かしむ今が、寂しい…。=敬称略=