心配しないでください
【3月9日】
どうしても、会いたかった。だから、鳴尾浜へ行ってきた。
手術明けの原口文仁がチームに合流した7日、当方は内視鏡検査のため西宮市内の病院にいた。この歳になれば身体に多少のボロは出てくる。その度に健康の尊さを再確認するのだが、文(ふみ)がタテジマのユニホーム姿で会見に応じる気丈な姿を8日の本紙で見て、涙腺が緩んでしまった。
まだ、27歳。病の発覚を耳にしたときはもう、なんでやねん…としか、言葉が出てこなかった。
会えるかどうか分からない。とにかく、待ってみよう。そう思って鳴尾浜の選手寮の敷地内で立っていると、文はトレーニングウエア姿でこちらへ歩いてきた。おっさん記者の面持ちがよほど頼りなさげに映ったのだろう。文は握手したまま僕の手を引っ張り、そして肩を寄せ合って、こう言った。
「心配しないでください」
端から見れば、どちらが励まされているのか分からない。それくらい、文は快活に振る舞ってくれた。そりゃ心配するって…そう伝えると、笑って「大丈夫です」。その通り。大丈夫。そんなもん大丈夫じゃないと、困るんやから。
立ち話だったけれど、文は今の素直な気持ちを明かしてくれた。この言葉は、彼がグラウンドに戻ってきたときに必ず書きたい。
今さらだけど、原口文仁のキャリアを振り返ってみたい。09年度ドラフトで入団した彼は、腰痛の影響も重なって12年オフに育成選手契約へ移行する。16年4月に支配下復帰を果たしたわけだが、このシーズンから指揮をとっていた金本知憲にとっては、思い入れのある特別なチルドレンだった。
裏話を書く。3年前の春先、4月26日のことだ。当時監督の金本は鳴尾浜で阪神2軍対履正社学園戦を視察し、ネット裏のブース席でファームディレクター宮脇則昭とこんな会話を交わした。
金本「原口は、どう?」
宮脇「先週末の(ウエスタン)ソフトバンク戦(筑後)で中田賢一と山田大樹から2試合連続でホームランを打ちました。バッティングは申し分ないですよ。特に中田から打った1発はインサイドの難しい球をポール際へ…あのバッティングは1軍で通用します」
金本「捕手としてはどう?ワンバン、きっちり止められる?」
宮脇「捕手としても十分、使えます。それと、監督、原口の練習姿勢は本当に素晴らしいですよ。自分のやるべきことを黙々と…」
支配下登録→即1軍昇格→甲子園で巨人田口麗斗からプロ初安打…文がシンデレラストーリーを歩み始めたのは、まさに金本と宮脇のこのやりとりの翌日だった。
「はい上がる人生なんだ」
今回チームに合流した原口に宮脇がそう語りかけると、背番号94は頬を緩め、大きく頷いた。
「プロ野球選手という立場でこのような病気になった事を自分の使命だとも思えます」-。そう綴った文とまた、たくさん野球の話をしたい。この日握ったその大きな手のぬくもりは、これからもずっと忘れない。=敬称略=