札幌といえば、ベッカムの…

 【6月14日】

 ロシアW杯が開幕した。サッカー小僧だった僕にとっては4年に一度、テレビ漬けになる1カ月間だ。本紙で長くプロ野球を担当しているが、W杯取材の夢がかなった年がある。2002年の日韓大会。トルシエジャパンの…といえば思い出す読者もいるだろうか。

 取材で忘れられないインパクトがある。それは日本の決勝トーナメント進出でもブラジル対ドイツの決勝でもなく、ここ札幌ドームで目にした貴公子の感涙だった。

 あの戦いも6月だったので、ちょうど16年前。1次リーグ屈指の好カード、イングランド対アルゼンチン戦の舞台になったのが札幌だった。この両国といえばフォークランド紛争(1982年)で衝突した政治的な因縁もあり、グラウンド内外で白熱した。フーリガン対策で繁華街「すすきの」まで警備体制が敷かれる中、ゲームは1-0でイングランドが勝利。値千金の決勝ゴールを決めたのは、デービッド・ベッカムだった。

 前半終了間際、マイケル・オーウェンが得たPKをベッカムがゴールのほぼ真ん中に蹴り込むと、札幌ドームは「稲葉ジャンプ」が質素に思えるほど、ガンガンに揺れまくった。あの時ベッカムの胸には熱いものが込み上げていた。ライバルを倒したとはいえ、まだ1次リーグ。なぜ、貴公子はあれほどまでに感極まっていたのか。

 サッカー通の方はご存じだと思う。日韓大会の4年前、98年フランス大会で事件は起こった。決勝トーナメント1回戦で〈1人少ないイングランド〉はアルゼンチンに敗北した。この試合、ベッカムはファウルを受けた後その相手に蹴りを入れ、レッドカードで一発退場。悪夢の始まりになった。英国の新聞は「10人の勇敢なライオンと1人の愚か者」と揶揄。彼は戦犯として、日本では考えられないバッシングを浴び続けたのだ。

 帰国後、国内リーグで何度ゴールを決めても大ブーイング。街でベッカム人形の首に縄を掛けられるなど日々エスカレートし、殺害予告まで…挙げ句、24時間警察保護下での生活を余儀なくされた。

 ベッカムはその重い十字架を背負い、4年後のアルゼンチン戦で雪辱した。札幌ドームのPKはその悪夢を完全に払拭する、4年分の魂を込めたキックだった。

 02年のベッカムフィーバーにはそんなドラマも隠れていた。サッカー母国の厳しいファンがベッカムを再び認めたのは、彼が苦境から逃げなかったから…といわれる。

 札幌ドームの記者席でこの原稿を書いている。試合の分岐点を書く気になれない展開ではあるが、まず初回の失策はプロのプレーではない。植田海である。投手に対して、ファンに対して、顔向けできないミス。僕は先日、彼はよくやっていると書いた。今もそう思う。ミスしても大ブーイングを浴びないのは、若い彼への期待料込みだから。だからこそ、それに甘えることなく雪辱してほしい。逃げることなく…。虎の貴公子。いや、今はそう呼べないけれど、将来そうなってほしいとファンが願う逸材だと思う。  =敬称略=

編集者のオススメ記事

吉田風取材ノート最新ニュース

もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(タイガース)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス