昼メシジャンケンの敗者は今…

 【6月1日】

 あの日、昼メシジャンケンで敗れたのは沖縄那覇出身の木訥(ぼくとつ)な23歳だった。青木宣親のリクエストで地元のハンバーガー屋へ走った豊満な敗者は山ほど袋を抱えて帰ってきた。白球の箱を椅子代わりに、皆で食った特大バーガーの味は忘れられない。

 時は15年の1月半ば。場所は沖縄浦添市のスポーツ施設だった。

 「ありましたね~(笑)。僕がジャンケンで負けちゃって…」

 あのときはこんな形で再会できるとは思わなかった。今やパ・リーグ首位西武の4番。山賊打線の主砲を担う、山川穂高である。

 沖縄中部商時代は甲子園出場なし。13年秋のドラフトで西武から2位指名を受けた富士大出身のスラッガーは、1年目オフに現役メジャーリーガー青木(当時サンフランシスコ・ジャイアンツ)の自主トレに参加。生まれ故郷で「最高のお手本」に師事する幸運に恵まれ、今日の礎を築いたわけだ。

 こういっちゃ虎党に怒られるけれど、イヤな雰囲気はあった。三回2死一、二塁のピンチで打席に山川。岩貞祐太の初球チェンジアップを左翼へはじき返され、0-2。故障明けとはいえ、今季無敗の菊池雄星にとって〈結果的に〉十分な援護点になってしまった。

 「大学のときは仲良くやっていましたけど、今は戦う相手。話していても穂高は刺激を受ける存在ですが…」。山川と同級生、かつ大学ジャパンの同僚だった梅野隆太郎はそう言って雪辱を誓った。

 この日試合前、山川に阪神の印象を聞けば「何となくですけど、メンタルが強いイメージ。怖いですよ…僕、田舎者ですし」と笑っていたが、阪神にとっては、あなたの存在のほうがよっぽど怖い。

 昨季後半から覚醒し、78試合で23本塁打、61打点(打率・298)。5年目の今季、14本塁打、47打点は堂々のパ・リーグ2冠である。ファン心理で書かせてもらうと、羨ましい…。参考までに聞かせてほしい。あれから、どんなプロセスを踏んで成長できたのか。

 「確かに、青木さんと一緒にやらせてもらったことは大きかったと思います。ウチの松井稼頭央さんもそうですが、凄いなぁと思ったのは、野球に対する柔軟な姿勢です。青木さんはあのとき、ルーキーだった僕にも色々と聞いてこられました。僕だけでなく、ほかの自主トレメンバーが練習方法で『これ良いらしいですよ』というと、必ず一通り試してから、自分に取り入れるかどうかを決める。色んな意味で見習っていますよ」

 正解はこれ一つだと決めつけない。そんな青木らしさを学んだから強くなれたのか…。では、覚醒した打撃についてはどうだろう。

 「青木さんに打撃の意識を聞いたら『まずはまっすぐをセンターにはじき返す意識でずっとやっている』と仰って…。あの言葉が一番印象に残っていますし、僕もそれを意識するようになりました」

 理屈は分かっても、なかなか実践できないものだ。あの日ジャンケンで敗者になった男は「青木の哲学」を咀嚼し、この世界の勝者へひた走っている。 =敬称略=

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