「盗塁王」のハマる打順…
【3月18日】
大学時代の友人と一緒に客席から観戦していると、ふと懐かしい景色を思い出した。ここナゴヤドームの三塁側スタンドには、よくある選手のご家族がお見えになっていた。地元愛知県刈谷市出身…赤星憲広のお母さん。僕も何度か挨拶させてもらったのだが、あのころ、試合前の練習から熱心にご覧になっていた姿を思い出す。
恵まれた体格ではなかったけれど、類い希な身体能力で新人年から頭角をあらわした。僕の感覚では、あっという間にスターダムにのしあがった選手。それが赤星。輝かしい実績や、志半ばで引退に至った経緯をここで書くのは控えるが、あの時代、先発オーダーに赤星が「いる」「いない」で阪神の野球がまったく違ったものになっていたことは想像に難くない。
きのう当コラムでオープン戦の盗塁数の話を書いたら、各所から反応があった。正直、この時期の楽観、悲観の類はあてにならなかったりするものだが、現状、12球団最少の盗塁数は果たしてシーズンにどんな影響をもたらすのか。 それこそ、1年が終わってみなければ分からない。だから、あくまで想像だけれど、やはり「走れないチーム」では悲願はおぼつかなくなる。そこで、突き抜けて考えてみる。もし!今シーズン、虎に赤星以来の「盗塁王」が誕生するとすれば…。金本野球は過去2年とはその質がガラリと変わる可能性がある。じゃあ、誰にその夢を託すのか。いや、「夢」と書くには失礼な選手が阪神にはいる。
金本知憲は糸井嘉男の打順を模索している。基本線として「5番」を考えていたことは確か。でも最終結論はまだこれからなのかもしれない。前日もこの日も糸井をウィリン・ロサリオの前「3番」で起用し、打線全体の機能を見定めている。15年に盗塁王に輝いた糸井の配置は悩みどころ。日替わりよりも、ある程度カチッとはめたい思いはあると思う。「快足」という飛び道具を活かせる打順…。
仮に「3番」「5番」の二択だとすれば、どちらが走りやすいのか。その時々のオーダーにもよるだろうから一概にこうとはいえないが、参考までにセ・リーグの歴史を振り返ってみた。最近10年、盗塁王になった選手が最も多く座った「打順」は、ご覧の通り。
08年=福地寿樹…「1番」
09年=福地寿樹…「1番」
10年=梵英心…「2番」
11年=藤村大介…「2番」
12年=大島洋平…「1番」
13年=丸佳浩…「3番」
14年=梶谷隆幸…「3番」
15年=山田哲人…「3番」
16年=山田哲人…「3番」
17年=田中広輔…「1番」
15年の山田は「1番」も多く打ったが、最多は「3番」だった。
調べてみると、打順もそうだけどへえ…この10年で盗塁のタイトルがないのはセ・リーグで阪神だけなのか。赤星が5年連続盗塁王を達成した05年はVの年。あれ以来13年遠ざかる虎の盗塁王は果たして…。オープン戦10敗目を喫した日、レッドスターのご当地でそんなことを考えていた。=敬称略=