天国からの激励…しっかりやらせぇ

 【3月10日】

 勝手なこと書くなよ!金本知憲はそう言って怒るかもしれない。だけど、独断で書かせてもらう。

 金本は泣いていた。

 星野仙一「追悼試合」のプレーボール前、両軍ナインがベンチ前に整列し、黙祷を捧げた後だ。金本の目はかすかに潤んでいた。メンバー表交換で本塁付近へ向かいながら、わずかに滴るものを拭っていたが、あれは間違いなく…。

 ファンも泣いていた。この日の朝、僕は甲子園に着いてまず献花台へ向かった。9時半だったから開門30分前。白いカーネーションを供え、手を合わせる。生前の写真パネルを見上げると(実は少し驚いたのだが)隣から嗚咽が聞こえてきた。1人や2人じゃない。ご年配も、若い親子連れも、イカつい格好したニイちゃんも…。在りし日の闘将を思い浮かべると、みんな、こらえられないのだ。

 訃報から2カ月ちょっと。献花台の整理にあたっていた顔なじみの球団スタッフは「写真を見ちゃうと、どうしてもダメで」と、やはり涙…。涙腺の緩くなった僕も思わずもらい泣きしてしまった。

 お客さんが献花台で泣いていましたよ。甲子園のベンチ裏でそう伝えると、金本は「そうか…」とうなずいた。「遺骨はどこにあるんだろう…」。77番を背負った金本にとって、いうまでもなく特別な試合。秋山拓巳の快投で終盤まで優勢に運んだが、残念ながら白星を捧げることは叶わなかった。

 01年の冬、阪神入りの会見で星野が「やるべきことをやらなかったときに、私は鬼になります」と語っていたことを思い出す。時代とともに現役の勇姿を知るファンも少なくなるが、星野といえば中日の大エースだ。だから、この日金本から聞いた闘将の「エピソード」は意外だなと思った。「阪神監督」の星野について、思い出は?と尋ねると「投手出身なのに走塁にはうるさかったな」というのだ。「当時の走塁コーチに『(走者に)もっとリードをとらせろ』とか『第2リードが小さい。しっかりやらせぇ』とか、ベンチでも大きな声で言っていたよ」。中日時代の星野体制で戦った久慈照嘉(阪神内野守備走塁コーチ)に確かめても「厳しかった。例えば、一塁走者が1本の単打で(隙をつけるのに)三塁までいかなかったときとか、相当怒っていたよ」。

 新人年から星野竜で育った福留孝介は思い出をかみしめながら試合に臨み、三回に左中間安打を放った。素早く回り込んだ左翼手がワンバウンドで捕球しても「当たり前」の走塁で二塁へ。星野の教えが染みついた40歳が「やるべきことをやって」恩人を偲んだ。

 あと1人から同点…。金本が「鬼」になりそうな場面があった。九回の被打じゃない。七回無死一塁で俊介がバントの構えを引き、結果的には山崎憲晴の二盗失敗に…。詳細は虎番の原稿を読んでもらうとして、サイン違いか何なのか。金本の形相が星野のそれと重なった。「やるべきこと」ができなければ宿題になる。きっと天国の星野は言うだろう。「カネ、しっかりやらせぇ」と。=敬称略=

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