厄介な「11」は、GそしてDにも…

 【3月9日】

 背番号「11」なのか…。なんだかしっくりこないなぁ。上原浩治が古巣読売ジャイアンツに復帰し会見に臨んだ。かつて背負っていた「19」はエース菅野智之のものだから、「返してよ」というわけにはいかない。むろん、上原もそんなつもりはないだろうけど…。

 08年以来、10年ぶりの日本球界復帰になる。ちなみに、08年といえば金本知憲がまだ現役だったころ。左膝の手術明けながら打率・307、27本塁打、108打点の成績を残したシーズンである。

 ここで書くまでもなく、上原は阪神にとって厄介な投手だった。虎に携わる者にとってはイチローのシアトル復帰よりも、直接「利害」の伴う「上原カムバック」のほうがやはり気になるニュース。彼が加われば、巨人のブルペンに脅威が増すのは目に見えている。阪神ベンチ、007にも面倒な仕事が増えることになるわけだ。

 上原といえば…。当コラムでは金本のエピソードを好き勝手に書かせてもらっているが、このネタは初めて書くかもしれない。現役時代の逸話である。鉄人がオフに鹿児島最福寺で護摩行に取り組んでいたのは有名な話。高さ2~3メートルの火柱の前でお経を唱える姿は読者もよくご存じだと思う。実はファンの方から聞かれたことがある。荒行の最中に修行者は何を思っているのか。そういえば、あまり触れてこなかったので、金本本人に確かめてみたことがある。

 「ただ座禅を組んで熱さに耐えていたわけじゃないよ。俺の場合炎の前で絶対に打ちたいと思う投手を浮かべることが多かったな。ここぞの場面でなかなか打てなかったから。岩瀬、上原…彼らのウイニングショットを絶対に打ってやるんだという気持ちでね…」

 摂氏400度の修羅場に耐えながら金本が脳裏に浮かべたウイニングショットには、岩瀬仁紀のスライダー、そして、上原の宝刀フォークボールがあったのだとか。

 数種の落差を駆使してメジャーのツワモノを斬っていた、いわゆるスプリット。広島、阪神で4番を担った時代はあの魔球に翻弄され、さぞかし苦労したのだろう…そう思って本紙記録部に確認してみると、金本はそれほど上原を苦にしていなかった。99~08年の10年間で124打数39安打、13本塁打。対戦打率は・315。それでも数字で計れない凄みを上原に感じていたことは想像に難くない。

 どうやら背番号「11」が厄介なのはGだけじゃなさそうだ。7回2安打。この日のオープン戦、阪神は中日先発の小笠原慎之介に手を焼いた。振り返れば…金本はかつて竜の「11」を背負った川上憲伸との対戦に意気を感じていた。個人対戦で5割以上打ち込んだ年もあれば、1割台に封じられた年もあったけれど、何とか「虎の天敵」を打破したい執念、強い気持ちで川上に向かっていたのだ。

 開幕3カード目のT-D(京セラドーム)で小笠原と当たるかもしれない。いい速球、嫌なチェンジアップを投げる11番。絶対に打ってやるんだ、と…本番は気持ちで負けたくはない。=敬称略=

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