筑後で追悼…矢野に宿る星野魂

 【3月3日】

 三塁のダッグアウトからグランドへ出ると、指揮官が笑顔で迎えてくれた。紙面でご覧のように、この日タイガースは1、2軍とも福岡でデーゲームをやった。1軍はオープン戦、2軍は教育リーグそれぞれ、ソフトバンク戦。同じ午後1時のプレーボールだから、番記者は1軍を追ってヤフオクドームへ向かったのだが、僕の取材目的はホークス2軍の本拠、タマホームスタジアム筑後にあった。 「なんで風は今日こっちへ来たん?」。阪神2軍監督の矢野燿大に挨拶すると、不思議そうに聞かれた。ウソをついても仕方ないので「キャンプ中、安芸へ伺うつもりでした」と打ち明けた。沖縄から高知へ移動予定だった2月半ば私的な問題が生じてしまい…ま、そんな余談はいい。僕は「監督・矢野」に興味があるのだ。采配は言うまでもなく、チーム作りの道程がこんなに楽しみな指導者は少ない。現役時代から矢野の考えを取材してきて、そう感じる。例えば、試合に限らず、アンテナの角度はこちらの想定がなかなか及ばない。捕手の視点というのか、え?そっちに視野があったのか…と唸らされることが多かったのだ。

 虎の取材陣2人で筑後のバックネット裏から試合を見させてもらった。先発した岩崎優のこと、2盗塁した熊谷敬宥のこと…これは本紙ファーム番の記事を読んでもらうとして、僕は矢野のことを書きたい。ウエスタン・リーグ開幕まで2週間を切ったいま、改めて確かめておきたいことがあった。

 「そうか。きょう、名古屋であるんや…」。この日、ナゴヤドームで中日対楽天のオープン戦が「星野仙一 追悼試合」として開催されることを矢野に伝えた。新たに育成組織のリーダーに就いた矢野の理念には今も星野イズムが息づいているのか。闘将が天国へ旅立ってちょうど2カ月。矢野は「当然」とばかり、話してくれた。

 「そりゃ、染みこんでいるよ。例えば……試合前に他球団の選手とニコニコ話をするなというのは星野さんから教わったことやしね…。やっぱり、プロとして必要だと思ったから選手には伝えたよ」

 矢野が東北福祉大から中日に新入団した当時の監督が星野仙一だった。90年代の星野といえば鉄拳も辞さない、血気盛んな闘将…。

 「俺は最初(の監督)が星野さんだったからね。何て言うのか、きれいに野球するとかじゃなしに泥臭く…星野さんは、勝つときは相手を踏みつけてでも徹底的にやるんや…みたいな。勝負の中ではそういう変な優しさは要らん…みたいなものがあったと思うから」

 時代の変遷とともに変えざるを得ない価値観がある。一方で金本知憲が「精神論をバカにすると痛い目にあう」と話すように矢野の哲学にも宿る「星野魂」は何年経っても廃れることはないと思う。

 「今の時代だからこそ、逆にね…。俺らが伝えていく存在になっていきたいなと思っているよ」。

怒号でも鉄拳でもないけれど、星野イズムで育った矢野の指導者像…。今年は何度もファームへ足を運びたくなりそうだ。=敬称略=

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