あの小笠原が?たった2本?

 【2月22日】

 半ドン。阪神の練習が昼過ぎに終わってしまった。さて、何を書こうか…。宜野座のスタンドからグラウンドを見渡すと、阪神園芸のスタッフが黙々と整備に取りかかっている。あてもなく黒土を眺めてみる。何も浮かんでこない…と、そのとき同園芸の甲子園施設部長、金沢健児と目が合った。

 実は金沢に聞きたいことがあった。宜野座のハナシじゃない。ホームスタジアム甲子園のことだ。

 「いやぁ、正確な数字は分からないな…。撤去作業のとき僕は別の場所で仕事をしていたんだよな…。あそこはブルペンだったでしょ。マウンドが2つあったから、そこそこのスペースだったと思うけど、7~8メートルじゃないかな…」

 かつて存在した甲子園球場のラッキーゾーンについて、記憶の限り教えて欲しかった。知りたかったのは、現在の外野フェンスより何メートル手前まで同ゾーンがせり出していたのか。つまり、あの当時と比べて今の打者はどれくらい「不利益」を被っているのか…。甲子園球場の職員に確認してみると、「どこかに資料が眠っていると思うのですが、すぐには正確な数字が分からないんですよ…」。

 なぜ今、ラッキーゾーンの話をするのか。実は糸井嘉男と「甲子園の浜風」の話になった。当欄でも幾度となく話題にしてきた左打者にとっての超逆風。かつて現役時代の金本知憲から「ホームランを何本損したことか」と恨み節を聞いてきたが、昨年から甲子園球場を本拠にする糸井も同じように浜風を恨み、嘆いているのだ。

 「あれ、何なんですか?ほんまに気持ち悪いですもん。打っていておかしくなる。他の球場とは全く違いますから…。ラッキーゾーン、できないですかね?(笑)」

 歴史をたどれば甲子園球場の両翼に金網のフェンスが設置されたのは1947年。あのころ「甲子園でホームランが出にくい」と、ファンサービスの観点から日本の球場で第1号となる「幸運の柵」ができあがった。以降、撤去される92年まで44年間フェンス際のドラマを生み出してきたわけだが、今の時代もジョーク混じりに「復活」を望む左打者は少なくない。

 巨人時代の小笠原道大(現中日2軍監督)は甲子園へ来ると本塁打を打てなかった。その話を糸井に伝えたら、「マジっすか?」と驚いていた。念のため記録部に確かめてみると、東京ドームで通算175本塁打を記録した小笠原は甲子園で生涯2本しか打っていない。おそらく「浜風が大嫌い」なホームラン打者の一人だと思う。

 今も昔も甲子園はアーチを架けづらい球場である。昨年、阪神が甲子園で放ったチーム本塁打数は計41本。ちなみに巨人が東京ドームで打ったチーム本塁打は62本でカープがマツダで放ったそれは77本。本拠地の本塁打数は虎と鯉で36本の差…。単純比較できないことは分かっているし、逆に虎投が助かっていることも理解できるけれど、何だか寂しい思いもある。ラッキーゾーン復活が望めないなら、浜風に挑み続ける糸井を応援するしかない。=敬称略=

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