藤浪晋太郎の履歴書

 【12月1日】

 日本経済新聞の文化面に「私の履歴書」という名物連載がある。1956年(昭和31年)から続く各界著名人の自伝はデイリー読者にもファンが多いかもしれない。経済の変動に疎い僕も、この読み物が好きで日経を愛読紙にする。カルロス・ゴーンで始まった17年の締めは江夏豊の登場である。

 12月1日からスタートした江夏の自伝はいきなり衝撃の連続だ。母親から「お前が小さいころに死んだ」と教わった実父が突然現れたのは、あの「江夏の21球」の直前だった-。普段かわいがっていただいている…にもかかわらず、知らないことだらけ。この1カ月間の連載が楽しみで仕方がない。

 大エース。江夏が背負った肩書である。大阪学院高から4球団競合の末、ドラフト1位で阪神に入り、入団から9年連続2桁勝利、6年連続最多奪三振…これら怪物ぶりは、オールドファンならご存じの通り。江夏のプロデビューは1967年だから僕の生まれる4年前。当時の映像を見たことはあるし、数々の伝説を読んだこともあるが、若かりし日の存在感について生々しく聞いたことはなかった。変な話、こんな高卒投手がチームにいたら、当時の阪神首脳陣はそれは扱いに困っただろうな…なんて想像したりもするのだ。

 「江夏が入ってきたときの監督は藤本定義さん。巨人の監督もされた方で、それは厳しい監督だった。けれど、江夏にだけは甘かった。自由気ままにさせて、大事に大事にしていたよ。江夏は同世代の古沢憲司という選手とよく一緒に行動していたんやけど、2人で遅刻してきたら古沢だけが怒られる(笑)。力のあるヤツが強い。結果を出すヤツが一番。俺は江夏よりひとつ年上だけど、プロとはそういう世界だと思っていたから何も思わなかったし、先輩の人達も、誰も何も言わなかったよ」

 江夏が敬う藤田平が、懐かしそうに当時の逸話を教えてくれた。

 昼前、日経紙を手に阪神の球団事務所へ行ってきた。この日は藤浪晋太郎の契約更改日。会見場の最後方から彼の表情を窺うと、もちろん、笑い声はない。年俸の変動には興味はないが、彼の来シーズンにはとても関心がある。

 大エース。藤浪の履歴書に添えたい肩書である。書くまでもなく彼にとって色々あった17年…。阪神OBのみならず、球界全体が彼の現状を危惧していたが、中でも落合博満の発言は目を引いた。先月オンエアされた毎日放送の番組で落合は「皆で藤浪をやっつけすぎ」と話した。確かに“外野”は好きなことが言える。ただ、落合の言葉に頷く自分もいるのだ。

 藤浪に15勝させること。シンプルに、このゴールを目指すためには何が最善の策なのか。藤浪が勝てば間違いなくVに近づくのだから、江夏の時代とは違うけれど、そこだけを求めれば、再生への道筋が見えるのかもしれない。

 僕も外野だから無責任は承知で書こうと思う。プロは力のあるヤツが強い。少し乱暴な言い方だけど、これだけ伝えれば藤浪は分かる男だと思う。=敬称略=

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