「実績ゼロ」の力

 【9月29日】

 サッカー界で古沼貞雄という指導者を知らない人はいない。帝京高校サッカー部を計9度の全国制覇に導いた、名将のなかの名将である。僕の世代でサッカーをやっていた者にとってはカリスマだ。

 高校野球でも甲子園で9度優勝した監督はいない。そういう意味でも古沼はアマチュアスポーツ界の伝説とも言える。そして、ご存じの読者も多いかもしれないけれど、この古沼という人、何が凄いって、自身にサッカー経験がないということだ。学生時代、陸上など他のスポーツに励んだ、いわば「サッカー素人」。そんな古沼が昔、インタビューで語っていた。「経験がなくても、考え、工夫すれば一番になれるんですよ」と。

 なぜ今、こんな話を書くのか。それは3日前、ウエスタン・リーグで26年ぶりに優勝したカープ2軍の胴上げを見たからである。

 「正直に言うと、苦しいこともあった。眠れんかったよ…」

 カープ2軍監督の水本勝己はここまでの道のりを振り返り、胸中を明かしてくれた。金本知憲と同じ1968年生まれ。明日49歳を迎える水本は27日、甲子園で宙を舞った。見ているこちらも熱いものがこみあげてきた。人知れぬ彼の苦労が痛いほど分かるからだ。

 16年から赤ヘルのファームで指揮を執る水本の経歴を見てもらいたい。1軍実績、ゼロである。

 異色の指揮官。メディアでそんなふうに報じられることもある。さすがに古沼とは違い、競技経験は積んでいる。倉敷工から社会人を経て、捕手としてカープにテスト入団。しかし、プロでは花咲かず2年で引退。その後は裏方として赤ヘルを支え続けてきた。球団が水本を指導者に、しかも2軍監督という育成組織の長に指名したのは、その哲学と、誰にでも物言える熱い人望ゆえ…と聞く。

 就任2年目でカープの1、2軍同時優勝に貢献した水本は言う。 「26年前は1軍が山本浩二監督で、2軍監督が三村(敏之)さん…。天国の三村さんが、教え子だった緒方監督と俺を勝たせてくれたんじゃないか…そう思ってね」

 今はなき三村の政権下で水本はブルペン捕手としてオールラウンドに縁の下を担いだ。新井貴浩が水本の打撃指導にヒントを得ていたことはチーム内で有名である。

 「2年やってみて、育成には時間が必要だとつくづく感じる。一流になる選手には絶対に自主性がある。結局、カネ(金本)や新井も自主性があったから、ああまでなった。でも、プロで一流になるための自主性という意味では、それが最初から備わっている選手はほぼいないと感じる。だから、そこは教える側の根気。自主性を芽生えさせる根気が必要だと思う」

 名選手、名監督にあらず-。球界では昔からまことしやかにささやかれる。名選手は概して「俺みたいになれ」と思いがちだが、水本は「俺みたいになるな」が根本にある。現在、阪神のフロントは1、2軍のコーチングスタッフを模索しているが、立派な「実績」を優先条件にする必要はない。水本の情熱、理念を見ていてそう感じる。=敬称略=

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