「藍ちゃん」の思い出
【6月9日】
虎の地元神戸で藍ちゃんフィーバーが凄い。六甲国際GCで開催されているサントリー・レディースで、「引退」を表明した宮里藍が人気を独り占めしている。彼女の人となりは知らないけれど、インタビューを聞いていると、言葉がストレートで、とても好感が持てる。ゴルフ担当の経験が一度もない僕が、そんな彼女の経歴をしこしこと調べたことがある。
なぜか…。あれは05年の1月。阪神タイガースに、こんなふうに言われた選手がいたからである。
「藍ちゃんの顔にそっくり」
岡崎太一である。
04年度ドラフトの自由獲得枠で能見篤史とともに阪神入りした岡崎は当時、毎日が関西スポーツ紙の1面候補だった。何かネタはないのか!会社から原稿を迫られる各社の虎番は彼のソース顔に着目し、当時20歳の国民的ヒロインと強引に結びつけた。確かに目元が似てないことはないけれど…。
「懐かしいですね…。そんなこともありました。藍ちゃん…いやもう、おそれ多いですよね」
岡崎が2日連続ヒーローになった先日、本人と昔話をした。
2つ歳下とはいえ、片や日本を席巻した天才ゴルファー。同年、宮里は史上最年少、20歳3カ月でツアー通算10勝を記録するなど、競技を越えたスポーツ界の主役だった。虎の上位指名とはいえ、プロで何の実績もないルーキーにとって、ちょっぴり気恥ずかしい見出しが紙面に踊っていたわけだ。
12年前を「おそれ多い」と振り返る岡崎だが、当時はどうだったか…。これは藍ちゃんネタ云々の話ではない。本業においても、少なからず謙虚さに欠ける側面があったと自覚する。人気球団の新人が陥りがちな「勘違い」という病…今ではコツコツと献身的な岡崎でさえ、例外ではなかった。
「せっかく力があるのに、良いようにいってなかったよな。太一自身もそれを分かっているやろうし…。気付かずにそのまま辞めていく選手がほとんどだけど、あいつは変われたから。そのままだったらクビになってもおかしくなかった…でも、変わった姿を球団も認めてくれたわけでね。俺は太一本人にはめちゃめちゃ、言っているよ。『調子に乗っていたよな』って…。あいつが変わったから、俺もズバズバ言えるわけでね」
岡崎があの「プロ1号アーチ」以来の先発マスクである。柳田悠岐に許した先制打は1ボールからの甘い直球。同じく柳田に浴びた三回の2ランは初球の真ん中高め(直球)。バッテリーなりに「考えた攻め」であったはず。でも、あえて結果論で書けば「不用意」となる。試合後、矢野は言った。
「細かいところまでは言えないけれど、もっと工夫できるところはあるんじゃないかなと思う」
反省の多い福岡の夜。岡崎は試合後の宿舎で雪辱を期した。
「こちらが仕掛けようとする前にいかれたのが悔しいです…」
「そっくり」と言われたゴルフ界のヒロインがクラブを置く年、岡崎には「旬な男」になってもらいたい。=敬称略=