心は、お墨付き

 【4月25日】

 12年前のこの日、阪神は試合がなかった。はっきり覚えている。甲子園球場で投手練習を取材していると、井川慶が取材陣のエリアまで近寄ってきて教えてくれた。

 「ここの取材をしている場合ではないんじゃないですか…」

 JR福知山線の尼崎-塚口間で大変な事故があったらしい…。球団事務所のテレビでニュースを見た虎番はみんな言葉を失った。甲子園から現場まで約10キロ。生活圏で起こった大惨事だったし、家族の高校時代の親友が亡くなったこともあり、僕も「2005年4月25日」を忘れることができない。

 あの事故の翌日、阪神は勝てなかった。チーム全員で黙祷を捧げ中日戦に臨んだが、先発山本昌に封じられ完敗した。当時、この試合を取材していて印象的だったのは助っ人の大和魂。七回、満塁のチャンスで凡退したアンディ・シーツは思いっきりベースを蹴り上げ、悔しさをあらわにした。何が何でも勝ちたい…。そんな執念に、見ているこちらも熱いものが込みあげてきたことを思い出す。

 あのシーズン、岡田阪神は圧倒的な強さでVロードを歩んだ。40本塁打の金本知憲がMVPに輝き、今岡誠は驚異的な勝負強さで147打点を挙げた。胸のすくような破壊力でセ・リーグを制したが、頼もしく投打の屋台骨を支えていたのは「日本人の心」を持った二人の助っ人だったと今も思う。

 JFKの一角を担ったジェフ・ウィリアムスもJRの事故にひどく心を痛めていた。僕が拙い英語で話し掛けると、「言葉が出てこないよ」と唇をかんだ。その悲しそうな表情をよく覚えている。

 ジェフと言えば思い出深い話がある。彼の最終年となった09年のこと。同年の新助っ人ケビン・メンチが練習中に金本とバットを交換していたので、本紙の新人記者が真意を確かめようと取材を試みた。すると、メンチは「知らないよ」とソッポ。このやりとりを見ていたジェフは表情をゆがめ、厳しい口調でメンチをたしなめた。

 「あの記者はまじめに君のことを知りたくて取材しに来たんじゃないのか。どうして、もっと丁寧に答えてあげないんだ。ああいう対応は絶対に良くないと思う」

 ジェフの助言にうなずいたメンチは態度を改め、謝罪。新人記者の取材に再度応じてくれたのだ。12年前の優勝に貢献したジェフとアンディ。彼らはパフォーマンスもさることながら、その熱き、和のマインドで阪神ファン、そして僕ら報道陣の心もつかんでいた。

 この夜のDeNA戦、故障で出遅れた新助っ人が1軍の舞台でデビューした。1点を追う八回に代打で登場し、二ゴロ。結果はともかく、打球は悪くなかったように思う。もともと本塁打を期待するようなタイプではない。3Aで実績がある。日本での適応は未知数だが、心は素晴らしいと聞く。熱さ、探究心も二重丸だと…。エリック・キャンベル。あの夜ベースを蹴り上げて悔しがった男のスイングと重なる。見定めたのは駐米スカウトのジェフとアンディである。=敬称略=

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