勇気を、与えられる

 【3月11日】

 早朝、メールの着信音で目が覚めた。眠気まなこで先方に折り返すと、「少し話をしたいので球団まで来てくれないか」という。甲子園球場に隣接するタイガースの球団事務所には新聞記者用のプレスルームがある。2011年3月17日、朝9時。僕は普段メディアが入れない来客用の応接室に通された。そこで眉間にシワを寄せ、待っていたのは当時の阪神球団本部長、沼沢正二だった。

 「この記事やけど…。今これを金本に聞いて載せるのはどうかな…。マスコミが『強行、強行』っていうのも俺は違うと思う。あくまで試合をできるところ、九州とか開催が可能な球場ではやろう、と。プロ野球を観てもらって勇気づけようと…。間違ってるかな」

 沼沢がテーブルに広げたデイリースポーツの1面にはこうあった。

 きょう決定 セ開幕25日

 被災者へ、球界へ

 金本の思い

 6年前、東日本を襲った未曾有の大震災は東北福祉大出身の金本にとって他人事ではなかった。あの朝、沼沢と2人で1時間くらい話をした記憶がある。確かにその前夜、金本知憲に率直な思いを聞き、原稿を書いたのは僕だ。当時の紙面をすべて再現できないが、金本の言葉を一部振り返る。

 「被災者の方々のことを考えると、勇気を与えるとか勇気をもらうとか、今はまだそういうレベルじゃないと思う。被災地では水もなく、お風呂にも入れないと聞く。食料も明日、何が届くかも分からない。遺体もどんどん見つかっている。被災者はまだまだ野球を楽しむ精神状態ではないと思う」

 当時、球界は揺れていた。原発事故の影響も考慮し、パ・リーグが開幕延期を決める一方、セは予定通り3月25日の開幕を推し進めていた。沼沢は連日セの他球団と協議を重ね、心労がたたって東上する機内で倒れたこともあった。労組選手会の前会長、宮本慎也は「今、野球で勇気づけられると思っているなら思い上がりだと思う」と語り、ダルビッシュ有や古田敦也も公然と異を唱えていた。

 東日本大震災から6年が経った。沼沢はあの年で球団を離れ、NPBへ出向。現在は阪神電鉄本社で4つの関連会社の監査役を務めている。侍ジャパン事業部長として小久保裕紀に監督を要請した人だから、WBCで世界一奪回を目指す現代表への思い入れは強い。この日、沼沢に電話すると懐かしい声が響いた。「そうか。あれから6年か…。くれぐれも金本監督によろしく伝えてくれよ」

 20日後の開幕へ、金本はチルドレンの躍動を見つめる。震災年の夏に甲子園で全国制覇した高山俊が初回先頭打者アーチを架け、震災年に新人だった中谷将大が三塁打を放った。虎党が七色の風船を飛ばす。野球で勇気を与えられる喜び。野球から勇気をもらえる幸せ…。西武戦の後、金本は言った。

 「福祉大の先輩で家族を亡くした人がいる。奥さんとお子さん3人、ご両親も…。これからも、あの年を忘れることはないよ」=敬称略=

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