闘牛のように

 【2月28日】

 トラックに積まれ、戦場に入っていく牛を見た。宜野座球場で阪神キャンプの打ち上げを取材し、那覇空港へ向かう。道中、沖縄唯一の全天候型闘牛場「石川多目的ドーム」の側を通ると、6年前の光景が懐かしくなった。

 あれは2011年の2月。当時現役、42歳の金本知憲は重傷から復活を遂げようと懸命にもがいていた。10年3月に不慮のアクシデントで右肩棘上筋を断裂し、同年4月に連続試合フルイニング出場の世界記録がストップ。翌年は完全復活を遂げるため、ありとあらゆる手段を模索していたことを思い出す。そんなキャンプ中のある夜、金本から電話が鳴った。

 「沖縄って闘牛が盛んらしいな。今の時期にやっているかどうか、日程を調べてくれないかな」

 やっていた。しかも、当時の選手宿舎から目と鼻の先で開催していた。金本は迷わず言った。

 「行こう。次はいつかな?」

 キャンプ休日は猛牛も休んでいた。練習日に行くしかない。調整を任されていた背番号6は少し早めに球場を離れ、闘牛場へ直行した。赤い布をかざすマタドールを想像するスペインのそれとは違う。沖縄の闘牛は牛対牛のぶつかり合いだ。超満員の客席に猛虎のアニキ。900キロ超の猛牛戦に金本は「おぉ~」と声をあげた。

 「なんでもいい。強いものを見て、自分を奮い立たせたいんよ」

 金本は確かそんなふうに言っていたと思う。担当医師から「不可能」と通告された全力送球。それでも、右肩がダメならと左手でボールを握り、こっそりとスイッチスローの練習をしたこともある。

 「え?闘牛?そんなことしてたんですか。(精神修行で)護摩行をやっていたのは知っていましたけど…。僕はそういうことをやったことはないですね。阪神の4番って、相当なんやろうな…」

 この日、手締めを待つ糸井嘉男に金本の逸話を伝えると、伝統球団で主砲を担う重圧を想像し「すごいな…」と目を見開いていた。

 広島時代から金本を取材してきた。ファンのイメージ通り、不屈という形容がぴったりの選手。負けん気、責任感、何が何でもの執念で脆弱だった阪神の体質を変えた。そんな金本が監督になり、2年目を迎える。肉体的な強さはもちろん、金本はこのチームを精神的にタフにしたいと思っている。

 「やるのは選手」。金本はいつもそう言う。監督就任時、執念や強靱なメンタルは「教えて簡単につくものではない」とも話していた。1シーズンを終え、冬を越した。28日間のキャンプを終え、沖縄をあとにする。唐突に金本に聞いてみた。若い選手たちは一年前よりもたくましくなっているか。

 「まだ、かな…。いや、まだ分からないな。今年1年、シーズンを終えてみないと分からないよな、それは…」

 強くなりたい。うちな~の闘牛のように、ひるまず、たくましく。そんな闘志を受け継ぐ若虎が一人でも増えれば、阪神はで~じ楽しみなチームになる。=敬称略=

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