細川って、誰だ
【2月18日】
宜野座の記者席で練習を見ていると、後輩記者が飛んできた。「橋本さんという方に声を掛けられまして。風さんを探していらっしゃいました」。橋本姓で知り合いは何人かいる。誰かな…。
「あぁ。やっと会えたね~」
金本知憲の東北福祉大時代のチームメート、橋本一成のご両親がキャンプ見学にやって来た。金本が“仙台の家族”と慕い、昔から東北で試合をやるときは食事をともにする間柄だ。「一成はなかなか沖縄までは…。少年野球の監督をやってて週末も忙しいんだ」。
なるほど。で…一緒にいらっしゃるイケメンの学生さんは?
「これ、ウチの孫。一成の長男だよ。4月から大学生でね」
東北福祉大が大学日本一になった1991年。橋本は同年横浜大洋(現DeNA)からドラフト1位指名された斎藤隆の控え投手として、金本とともに同大学初の快挙に貢献。プロには進めなかったが、金本とはずっと親交が深い。
今だから明かせるが、実は昨秋、橋本のおやじさんが金本に熱っぽく話していたことがある。
「明秀の細川くん。あの子はいいぞ。阪神は興味ないのか?」
明秀学園日立の細川成也。昨夏の茨城大会決勝で常総学院に敗れ甲子園出場はかなわなかったが、複数球団が調査していた世代屈指の大砲だ。もちろん、阪神も注目し、指名リストに挙げていた。本紙も“虎の恋人”と見出しを立て、細川の名を報じたことがある。
でもなぜ、橋本のおやじさんが細川をそんなに推していたのか。
「僕、高校の寮で細川と同じ部屋でした。個別練習もずっと一緒にやっていたんです。明日、那覇で細川と一緒に食事しますよ」
おやじさんの隣で孫の橋本宝(たから)がそう言う。聞けば、宝と細川は明秀日立野球部の同僚で、とても仲良しだったそうだ。
「金沢監督のもとで野球をやりたかったので…」。仙台出身の宝が地元強豪校の誘いを断り、茨城へ越境したのは明秀日立の監督、金沢成奉を敬ってのことだという。相関図は少し複雑になるのだが、金沢は東北福祉大出身で金本や橋本の2学年上にあたる。つまり細川も宝も金本の先輩のもとで3年間、練習に励んだのだ。金本は金沢の教え子の実力を把握しており、昨秋、阪神が細川を指名する可能性がなかったわけではない。
僕は前日、浦添へヤクルト対DeNAの練習試合を観に行っていた。目的はDeNAからドラフト5位指名されたルーキー細川、そのプロ2戦目見たさだ。この日、宜野座で宝と知り合い「細川と同級生」であることを聞いて、なんてタイムリーなんだと嬉しくなった。宝は言う。「細川は一日、1500スイングしていました。夜も一人だけずっと振っていて…」 13日、金本阪神は17年の初陣を落とした。七回、DeNAの18歳がバックスクリーン右へプロ1号を放り込んだとき、宜野座の阪神ファンが口々に言っていた。
「細川って、誰だ…」
金本はベンチで黙ってうなずいた。=敬称略=