連続無併殺打記録の途切れ方は…

 金本知憲氏がプロ野球人生の秘話を語る連載「21年間の舞台裏」。01年に樹立した1002打席連続無併殺打の日本記録は、同年の9月に途切れた。終焉(えん)はあまりにも、あっけなかった。のちに対戦投手と話した裏話とは…。

 笑っちゃいました。無併殺打の記録が途切れたシーンです。止まったら悔しいだろうなあ。そんなふうに想像していたのですが、最後はもう…。

 01年9月28日の横浜戦(横浜スタジアム)でした。投手は小宮山悟さん。小宮山さんといえばフォーク、シュート、シンカーのイメージだったので、対戦するときは、いつも逆方向を狙って打つようにしていました。

 イニングは六回。1死一塁の場面でした。僕は引っ張ってライト前を狙いました。右方向へ打って、ランナーを一、三塁にしたいと思ったのです。案の定、きました。シンカー気味のシュートです。真芯でとらえたけれど、引っ張りきれませんでした。抜ければセンター前という打球を二塁ベース寄りに守っていたデーブ・ドスター内野手が追いついた。逆シングルで捕って、バックハンドで石井琢朗選手にトス。ポン、ポン、ポン!のゲッツーでした。

 全力で走りましたよ。でも、一塁ベースの5メートルくらい手前でアウトです(笑い)。絵に描いたようなゲッツーを食らったので、もう、あきらめがつきました。

 翌年メジャーに移籍した小宮山さんと、のちに当時の話をしたことがあります。

 「お前、記録あったらしいね。シュートを強引に引っ張っただろ。どうして、あのときに限って引っ張ったの?あのボールは、いつも流してるじゃん。しかも、甘かったし…。流していれば記録伸びてたのに。でもまあ、悪いことしたなあ」

 いえいえ!気にしないで下さい。あのときはランナーが一塁にいたので、右打ちをしようと思いまして…。

 約1年半、併殺打を打たなかった。1002打席という数字に興味があったので、念のため新聞記者に調べてもらいました。これって、世界記録ではないんだよな?残念ながら、違いました。世界には、もっともっと上がいたのです。

 01年に東映の毒島さんの日本記録を抜いたのが、39年ぶりのことでした。当時、僕は33歳。この計算でいくと、1002打席が塗りかえられるのは、僕が70歳を過ぎたころでしょうか。無併殺打を誇りに思う誰かが、金本を抜いてやろうと思うかもしれません。(続く)

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