藤田平氏悲痛「ショートの守備に関する、あらゆる事を教わった」吉田義男さん悼む 「本当に野球が好き、野球で妥協はなかった」

 川藤幸三氏(手前左)と吉田義男さん(後方右)と談笑する岡田監督。手前右は藤田平氏=24年4月
 巨人戦で超美技を見せる吉田義男さん=1987年
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 阪神は4日、球団初の日本一に導いた元監督で野球評論家の吉田義男さんが、3日に脳梗塞のため死去したことを発表した。京都府出身。91歳。現役時代は華麗かつ堅実な守りで「牛若丸」と言われ、名遊撃手として活躍。引退後は3度にわたり合計8年、阪神の監督を務め、1985年には21年ぶりのリーグ制覇、球団史上初の日本一に導いた。現役時代の背番号「23」は永久欠番。阪神一筋を貫いたレジェンドが逝った。デイリースポーツ評論家の藤田平氏は「ショートの守備に関する、あらゆる事を教わった」と悼んだ。

  ◇  ◇

 昨年末、吉田さんが検査入院されるというお話は伺っていた。それが正月を過ぎてもなかなか退院されなかったのだが、外は寒いし、病院にいた方がいいか-、というくらいに考えていた。そこへの訃報。大変、残念なことだ。

 私が阪神に入団する際、突出した守備力を持つプレーヤーとして名を成していた吉田さんだったが、私を担当したスカウトの方からは「あまり教えてくれないよ」という話を聞いていた。

 ところが実際に入団すると、タッチプレーにベースの入り方、「捕ったら投げろ」、「捕ったら投げろ」と口酸っぱく言われることで素早いスローイングの重要性など、ショートの守備に関する、あらゆる事を教わった。いわば守備面での、私の“お師匠さん”だ。

 キャッチボールの重要性にしろ、とにかく一から基本をたたき込んでくださったことは、その後の私のプレーに、大いに生きた。

 私も現役を終え、甲子園球場のOB室では「今の子のボールの捕り方、どう思う?」、「両手で捕った方が(スローイングまでが)早いよなあ」などと、野球談議をさせていただいた。本当に、野球が好きな人だった。

 その分、野球で妥協することはなかった。他者のみならず、自分にも厳しさを持ち続けていたから、あの小さい身体で一流にまで上り詰めたし、球団が苦しい時にこそ監督として請われた人でもあったと思う。心よりご冥福をお祈りいたします。

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