中田良弘氏 吉田義男さん悼む「常にどこかでその人情味が顔を出す」

 初の日本一に輝き、感激の胴上げをされる吉田監督=1985年11月2日
 阪神について語る吉田義男さん=24年4月撮影
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 阪神は4日、球団初の日本一に導いた元監督で野球評論家の吉田義男さんが、3日に脳梗塞のため死去したことを発表した。京都府出身。91歳。現役時代は華麗かつ堅実な守りで「牛若丸」と言われ、名遊撃手として活躍。引退後は3度にわたり合計8年、阪神の監督を務め、1985年には21年ぶりのリーグ制覇、球団史上初の日本一に導いた。現役時代の背番号「23」は永久欠番。デイリースポーツ評論家の中田良弘氏は「常にどこかでその人情味が顔を出す」と悼んだ。

  ◇  ◇

 吉田さんとのお付き合いで印象強いのはやはり、日本一を経験させていただいた1985年のことだ。

 シーズン中の、神宮球場での登板だった。私は先発し、好投している中、四回で交代を命じられたことがあった。「なんだよ」というのがその時の偽らざる思いだったが試合後、マネジャーが「吉田監督から『メシでも』と」と、小遣いを持ってきた。

 自身の思い切った采配を貫き、同時に選手へは配慮を欠かさないのが“吉田流”だった。日本シリーズ第3戦でも私は肩の不調があり、周囲のコーチが違う投手起用を訴える中、吉田さんは「ちゅんた(中田氏の愛称)は1年間頑張ってきたんやから」と私の先発を押してくださったと聞く。

 常にどこかでその人情味が顔を出す。そんな吉田さんがこの世を去った。ご冥福をお祈り申し上げます。

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