【阪神ドラフト選手特集・岡留英貴(2)】「まだ投げるな」危機感が生んだ飛躍

 10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた8選手(1~7位、育成1位)の連載。5人目はドラフト5位・岡留英貴投手(22)=亜大。

   ◇  ◇

 英貴は地元の兼城中学校に進学して軟式野球部に入部した。「自分たちの代は弱かったですね。全然勝てなかったです」。主戦場は捕手で、2番手投手としてマウンドに上がることもあった。当時の最速は124キロ。「コントロールもなくて(笑)」とまだまだ未熟だったが、両親から力強く背中を押された。

 「沖縄尚学のセレクションを『受けてみろ!』と言われて。投手で受けに行きました」

 闘志メラメラの受験者が120人以上。同校グラウンドのブルペンは6レーンあり、見たくなくてもライバルたちの投球が目に入った。「いや、多いなって(笑)」。セレクションは2日間。英貴は懸命にアピールして見事に合格を勝ち取った。「たまたまです。運が良かったです」。厳密な人数比は分からないが、同期は推薦組と合わせて31人だった。

 しかし、入学後に壁にぶち当たる。「自分は無名の中学野球部出身で、周りは(硬式の)ボーイズとかでやってきた人ばかりで。みんなレベルが高くて、意識も高くて…」。一度も公式戦のマウンドに上がれないまま時間だけが過ぎ、迎えた秋の1年生大会。ベンチ入りはしたが登板せずにチームが優勝を決めた後、比嘉公也監督から声を掛けられた。

 「野球の神様が『まだ投げるな』って言ってるな」

 英貴は悔しさと同時に危機感を覚えた。「じゃあいつ投げるんだ?と思って。なんか心に響きました。親にも申し訳なくなってきました。私立に通うのはお金も高いので…。本当に頑張らないといけないなと思いました」。自分自身と向き合い、死に物狂いで食らいつくと決意した。

 約100メートルの往復走を毎日10本以上。さらに300メートル走、グラウンドの外周走も…。冬場の走り込みで徹底的に下半身を鍛え上げ、翌年3月の練習試合で「自信がつきました」と初めて140キロ台を計測。3年間を通して目標の甲子園には届かなかったが、最後の夏は背番号10を付けた。

 亜大進学後の1年夏に「上体が折れる感じだったので」とオーバースローから初めて腕を下げた。その後も「いろいろ変わっていって」と試行錯誤を繰り返し、スリークオーターとサイドの中間あたりから投げ込むロークオーターが完成した。

 「自分のフォームは他にいなくて。参考にできる人がいないんです(笑)」。唯一無二の投法こそ英貴が持つ最大の武器。憧れの甲子園のマウンドに立つ日は、そう遠くない。

 ◇岡留 英貴(おかどめ・ひでたか)1999年11月7日生まれ、22歳。沖縄県出身。180センチ、87キロ。右投げ右打ち。投手。兼城小1年時から兼城パイレーツで野球を始め、主に一塁手。兼城中では軟式野球部に所属し、捕手兼投手を務めた。沖縄尚学時代は3年夏に2番手投手として県8強。亜大では4年秋に自身リーグ戦初の完投勝利をマークした。

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