【阪神ドラフト選手紹介・片山雄哉】勝負の1年、ハングリー精神でつかんだNPB入り

 今秋のドラフト会議で阪神から指名を受けた7選手(1~6位、育成1位)を紹介。今回は育成1位・片山雄哉捕手(24)=BC福井=に迫る。

  ◇  ◇

 この1年が勝負だった。片山は2018年シーズン開始前、母・純子さん(45)にこう伝えた。「迷惑をかけないようにやっていく」。これまで家族から受けていた金銭の援助をストップしてもらった。

 全てはNPB入りのためだった。「今年1年がラストチャンス、タイムリミットだと。(援助を受けていると)甘えがどうしても出てしまう。かなえたい目標を明確にするという意味でした」。あえて厳しい環境に身を置いて、上だけを見た。

 「食事に関しては貪欲になりすぎた」と話すように、体を作るため好きなものを好きなだけ食べた。だが“ぜいたく”はそれだけだ。福井市内の家賃3万6000円のアパートに住み、週6日は福井県内の球場で練習。オフの日はチームのスポンサーとなっているジムでトレーニングに励む。これをひたすら繰り返す日々を送った。アルバイトは行わず、時間は自らを高めるためだけに使った。

 そうなると自由に使えるお金はほとんどない。活躍の度合いによって変動するが、月給はだいたい10万から20万円。片山は「最低限の生活ができる程度。しんどかったです。楽しさもありましたけど、しんどさの方が勝りました」と今季を振り返る。それでも、「ただ野球をやっているだけなのにお金をもらえる」という感謝の気持ちは忘れなかった。

 野球というスポーツに人生を懸けていた。刈谷工野球部で片山を指導した中田雄太監督(37)は、教え子の「異例の決断」を回想した。「うちの学校は就職に強く、ほとんどの生徒が卒業してそのまま働きます。将来の安定が約束される中、彼は野球に対する思いを貫いたんだなと」。至学館大短大に進学し、その後独立リーグへ。のちに本人から「このままみんなと同じように就職して、人生が終わってしまっていいのかなと。自分は野球で勝負したい」と進学の理由を聞いたという。

 少年時代はわんぱくだった。純子さんいわく、「ゲームとかが長続きしなくて、それよりも外に遊びに行っちゃう。そんな子でした」。片山も「小学校の時、パワプロくんですか。友達とやったりしたこともあったんですけど、30分も持たなかったですね。それ(画面)を見ていると自分が(野球を)やりたくなる」と笑った。

 片山から支援を断られた純子さんだったが、実はたまに会えば、少しばかりのお金を息子に握らせていた。「やっぱり気になっちゃうんで」と、親心をのぞかせる母や家族の期待に応えたい。チャンスはつかんだ。あとは上昇するだけだ。夢の舞台での挑戦が始まる。

 ◆片山 雄哉(かたやま・ゆうや)1994年6月18日、愛知県出身の24歳。177センチ、83キロ。右投げ左打ち。ソフトボールを経て、安城南中1年時から野球を始める。刈谷工3年時は「5番・捕手」でチームの主軸を担うも、最後の夏は3回戦敗退。至学館大短大でプレーし、その後、BC・福井に入団。

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