文字サイズ

【金本新監督誕生の軌跡 2】

 監督としての“初仕事”となったドラフト会議で抽選箱から封筒を取り出す金本監督。右は真中監督(写真は10月22日)
1枚拡大

 「阪神・金本監督」がついに誕生した。10月1日に行われた球団との第1回交渉から、受諾した17日までの間に水面下では何が起こっていたのか。取材に当たったデイリースポーツトラ番記者・吉田風が、3回連載でその舞台裏を伝える。

  ◇  ◇

 金本知憲からのコールバックに思わず早口になった。「今、南社長と会っていましたよね。事実関係だけ書かせてください」。デイリースポーツ最終版の締め切りが迫っていた。半ば誘導尋問のように問い掛けると、金本は「会ってないよ…」。10月12日深夜、日付は13日に変わった午前0時3分のやりとりだ。

 球団社長の南信男から折り返しがあったのはその後、間もなくのこと。「今夜?ノーコメントで頼む。何も答えられない」。私はケータイを肩口に挟みながらパソコンのキーをたたいていた。そのころ、神戸市のデイリースポーツ本社内もバタバタだったと、翌日聞いた。「3度目交渉 金本熟考」。これが13日付最終版の1面見出し。後に金本は「なぜあの日、交渉していると分かったんだ?尾行でもしていたのか」と、いぶかしがった。

 今回の新監督問題で1日だけ1行も原稿を書かなかった日がある。10月10日。金本に同行し、富山県黒部市の体育協会が主催した講演会を拝聴した。「きょうは皆さんにご報告があります。阪神の新監督が決まりました!それは…」。冒頭、渦中の男が真面目な顔である有名OBの名前を読み上げると、地元の観客は大爆笑。ほかにも興味深い話で盛りだくさんだった…のだが、同会の取材は金本の所属事務所から完全NGが出されていたため、私は一般客として会場に潜んでいた。それでも、北陸まで会社の経費をかけた甲斐(かい)は…あった。

 講演会後、金本と金沢へ移動し、元阪神で現在富山サンダーバーズに所属する野原祐也と再会。ご当地自慢の海鮮の食卓を囲んだ。

 「大事な約束をしたとき、オレは本当に口がかたくなる。引き受けるにしろ断るにしろ、最終的に決めるまで今回のことは親、兄弟にも言うつもりはない。それは分かっておいてくれ」。野原との昔話に花が咲き、穏やかな時間が流れていたが、金本はいつもの金本ではなかった。時折思案の表情を浮かべ、無口になる。そしておもむろに貝になると宣言した。根拠はないし、本人に伝えることもしなかったが、この夜、確信した。金本は必ず監督を引き受ける、と。

 球団側と3度交渉に臨み、金本は受諾した。「あまり長引かせてもいけない」と返答期限を10月17日に設定し、同日の夕方5時、滞在先の広島から球団社長の南に「覚悟を決めました」と電話を入れた。金本が母親に決断を伝えたのは、その日朝だと聞いた。親、兄弟にも言わない-。たかが17年の付き合いの私に「南との約束」を漏らすはずはなかった。=敬称略=(阪神担当・吉田 風)

関連ニュース

    デイリーペディア

    編集者のオススメ記事

    タイガース最新ニュース

    もっとみる

    スコア速報

    主要ニュース

    ランキング(タイガース)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス