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能見が背負う宿命 移りゆくエースの系譜

 虎のエースの宿命を背負う能見
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 南国の日差しを浴びながら、井川(現オリックス)はこう言って笑っていた。

 「同い年だし、僕はサッカー好きだからこっちに引き込みたいけど乗ってこない。まあ、自分を持ってるんだろうけどね」

 その横で、阪神・能見は何も言わずに静かに微笑んでいた。あまり共通点を感じさせなかった何気ない二人のやり取り。05年2月、沖縄キャンプのことだった。

 同じ79年生まれ。共に高校時代から注目を浴びた左腕だ。97年に水戸商高からドラフト2位で阪神に入った井川に対し、能見は鳥取城北高から大阪ガスを経て04年に自由枠で入団。すでに井川は絶対的なエースという立場にいた。

 01年から06年までに、200回以上の投球回を4度記録。この数は現役最多のもの。越えなかった01年(192回)と05年(172回1/3)も200回に迫る数字に。そんな井川を、当時の能見は「ああいうピッチャーがエースですね」と評したのを覚えている。

 毎週マウンドに上がって、ローテを守る。その積み重ねには、数字に表れない効果もあった。06年オフにポスティングでヤンキース移籍が決まった際、リリーフ陣を支えていた藤川(現カブス)はこう言っていた。

 「井川さんは、とにかくゲームを作って投げてくれる。リリーフとして安心して準備できるんです。それが週に一回でもあると気持ち的に全然違います」

 エースの定義は、人によって違う部分がある。一つに絞るのは難しいが、チームに安心感をもたらす存在感は、エースの一つの条件となる。

 09年にブレークした能見は、その年に165回に投げ、10年はケガで12試合の登板に終わったが、11年の200回1/3で左腕では井川以来の200回越えを達成(その間、阪神では久保だけが10年に202回1/3で大台突破)。昨年は182回、今季は180回2/3を記録した。「井川がいれば大丈夫」だった過去。時は流れて今季、同じような声がより多く聞こえてきた。

 たとえば、リリーフの福原は「今日は能見だから休みだな」といったことをシーズン中に何度もつぶやいていた。実際に能見に言うこともあったという。もちろん福原以外の他のピッチャーも、だ。井川が離れてから何となく忘れられていた空気感が、能見の積み重ねてきた成長と共にブルペンに戻ってきた。

 能見自身は、周囲からエースと見られることに「自分はそうじゃない」と言う。望まずとも看板を背負うことになり、同時に大きな期待をかけられる立場。思えば、井川も「入団した時は、藪さんが防波堤というか背負ってくれていた。それが次は自分のところにきた」と自身を取り巻く転換期について話したことがある。

 共に性格的に言葉でアピールするタイプではない。ただ、揺るぎない信念と共に自分を磨き抜いてきた中で、看板を背負うことになった。井川がヤンキース移籍決定後に「能見は絶対に良くなる。いいピッチャーだから」と真剣に話していた。改めて思い返すと、当時から何かを感じていたのではないかと思う。同じ道をたどる匂いのような何かを。

 来季の阪神投手陣に目を向ける。守護神として呉昇桓が加入したが、先発のスタンリッジが抜けた。久保がDeNAに移った。どこかマイナスの雰囲気も漂うだけに、能見の存在は大きなものとなる。「29」から「14」へ。重なり合う宿命。移りゆくエースの系譜が、猛虎の支えであり良き伝統でもある。(デイリースポーツ・道辻 歩)

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