頭蓋骨骨折の負傷猫「いろは」 一命をとりとめた後に待っていたこと

 いろはちゃんは、2014年6月、負傷猫として埼玉県動物指導センターという行政施設に収容された。埼玉県動物指導センターでは、収容後3日が経過すると、飼い主などの迎えがない動物は殺処分されてしまう。Hope to LifeチームZEROでは、2014年から収容された負傷猫の保護を行っていて、いろはちゃんも対象になったのだという。

 いろはちゃんは、センターに収容された時、推定3歳。雨でずぶ濡れになっていて、頭蓋骨骨折、あごにも切り傷があった。負傷猫の中でも特に重篤な状態で、命が危ぶまれるような状態だったという。チームZEROの峰さんは「瀕死の重傷の子が、誰にも生きていたことさえ知らされず、センターで死んでいくのは忍びない。万が一、亡くなってしまうにしてもできる限りのことをしてあげたいと思った」と言う。

 もうだめかもしれないと思われたいろはちゃんは、チームZEROに保護された後、長い入院生活を送ることになった。なんとか一命をとりとめ、愛情豊かな預かりボランティアさんの家で大切に飼育された。

 神奈川県に住む岩沢さんは、いろはちゃんと出会う前にも保護猫を2匹飼っていた。1匹目は自宅の庭に出入りし始めた猫で、首輪をしていた。ポスターを貼ったり、人に尋ねて飼い主さんを探したりしたが、近所で亡くなったおばあさんの猫ではないかということが分かり、岩沢さんが飼うことになったという。2匹目の猫も敷地内に迷いこんできて、迷子か野良猫かは分からなかったが岩沢家の猫になった。

 「2014年12月、2匹目の猫を21歳で亡くした時、私たち夫婦の年令のことを考えると、もう猫を飼うことはないかなと思ったのです。でも、なんとなく里親募集サイトを見ていたら、いろはの写真が出てきました。額の真ん中で毛色が茶色と黒に分かれていて、先々代と先代の猫の生まれ変わりではないかと思ったんです。先々代の猫は茶色い猫で、先代の猫は黒っぽい三毛猫だったんです。2匹の猫の色が半分ずつ入っていて『わあ~』と思い、即決でいろはの里親になろうと決めました」

 岩沢さんは、何があってもいろはちゃんの里親になると決めていたので、ひと目会うこともなく家に連れてきてもらったという。2015年1月11日、いろはちゃんは岩沢家にやってきた。1週間から10日間くらいは、タンスの後ろに入ったまま隠れていて、手からご飯をあげようとしても食べなかったという。さすがに、夜、人が寝静まるとご飯を食べていたようだった。

 「私はあんぱんが好きで、明日残りの半分を食べようとテーブルの上に置いておいたのですが、朝、下に落ちていたこともありました。でも、私にはすぐに懐いてベタベタするようになりました。主人になれるのには、3年半もかかったんですよ」

 人見知りが激しく、インターホンが鳴っただけで慌てて逃げるいろはちゃん。すっかりお母さんっ子になって、お母さんの姿が見えなくなると探し、お風呂に入っているとドアの前でニャアニャア鳴くという。

 「旅行にも行けないけれど、寝るのも起きるのもいろはと一緒です」(神戸新聞特約記者・渡辺陽)

◆渡辺陽(わたなべ・よう)大阪芸術大学文芸学科卒業。「難しいことを分かりやすく」伝える医療ライター。医学ジャーナリスト協会会員。フェイスブック(https://www.facebook.com/writer.youwatanabe)

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