【西野ジャパン86日間の軌跡・5】協会の拙策際立った4年間 深く丁寧な検証必要

 西野ジャパンの戦いは16強で幕を閉じた。ハリルホジッチ前監督の解任を受け、西野朗新監督(63)の就任が発表されたのが4月9日。親善試合でなかなか勝てず、1次リーグ第3戦のポーランド戦では他者に命運を託すボール回しで批判を浴びるなど、苦しみながら一枚岩になったサムライブルーの舞台裏に迫る。

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 ピッチの上では、2大会ぶりの決勝トーナメント進出。優勝候補であるFIFAランク3位のベルギーを追い詰めるなど、日本史上初の8強も見えた大会となった。だが収めた結果とは別に、代表の強化策という長期的な視点で見ると、日本協会の拙策ぶりが際立つ4年間だった。

 14年ブラジルから18年ロシアへと歩みを進める中、2つのW杯の期間中に3人の指揮官が代表監督を務めたのは、初出場した98年のフランス大会以降、初めてのことだった。ブラジル大会を率いたザッケローニ監督の退任後、「W杯の経験が豊富な監督を」という軸で次期監督を選定。アギーレ元監督はスペインリーグの八百長疑惑に巻き込まれる形で契約解除となったが、その後任だったハリルホジッチ前監督も、前回大会で優勝したドイツと渡り合い、アルジェリアを16強に導いた手腕を見込んでの招へいだった。

 だがそんな方針が大きく変わるきっかけとなったのが、16年1月に行われた日本協会初の会長選挙。田嶋会長が協会トップに立つと、前監督を招へいした当時の霜田技術委員長を降格。現監督の西野朗氏を技術委員長に迎えるなど、協会人事を再編した。田嶋会長にとっては、自らの哲学や信念を推し進める“改革”だったが、明らかに監督タイプの西野氏を技術委員長に据えるなど、適材適所とは言えないものだった。

 今年3月に再選し、2期目に突入することが決まった直後にはW杯まで2カ月という段階で、監督も交代。最終的には16強進出という結果につながったが、代表チームの強化方針を定める技術委員会メンバーにも相談なしに決めた、協会トップの独断での監督交代劇。この4年間の検証をさらに困難なものとしているのも、紛れもない事実だ。

 土壇場の団結、そして現場の奮闘でつかんだベスト16。ただ、それは4年前の教訓を生かしてたどり着いた成果とは決して言えない部分もある。戦略的な成功ではなく、何とか次につながったロシアW杯だったのではないか。西野体制の86日間だけではなく、この4年間も深く、丁寧に検証して次なる指針を決めなければ、開きかけた歴史の扉に再び手をかけることすら困難になる。カタール大会だけではなく、日本サッカー界の未来のため、協会が担うべき責任は果てしなく大きい。

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