あの悔し涙から7年…日本代表で躍動するJ1広島・川辺

 19歳になったばかりのサッカー少年が目を真っ赤にしてミックスゾーンに現れた。

 声は震えていた。取材する記者が旧知の人間ばかりで安心したのか、涙がさらにあふれ出てきた。言葉をかけるのもはばかれるほどに、ルーキー川辺駿は泣いていた。2014年9月10日、天皇杯のG大阪戦で敗れた後の出来事だ。

 試合前、川辺は自信に満ちていた。

 「自分が点を取るのはもちろん、味方にも点を取らせたい。これからチャンスが広がっていくような自分らしいプレーを発揮して、結果を出したいです」

 だがこの年、3冠を達成することになるG大阪は強かった。遠藤保仁や今野泰幸(ともに現磐田)ら経験も能力値も高いタレントがそろっている相手に対し、川辺は何もできない。64分、彼はインパクトを残せないまま、青山敏弘と交代した。結果は1-3。完敗だった。

 当時の広島監督だった森保一(現日本代表)は川辺と名指しはしないまでも、若い選手たちに向かって厳しい言葉を突き付けた。

 「いつものプレーを見せてくれれば上回ることができると思っていたが、技術、戦術以前の、気持ちの部分が足りなかった」

 森保一は闘う気持ちを見せないプレーに対しては激しい怒りを見せる。球際の厳しさ、粘り強さ、鋭い反応。指揮官が「勝利への分岐点」と語った部分は、闘志なくして発揮することはできない。若者たちにその大切さを理解してほしいと思うからこそ、森保監督は試合後、厳しい口調で指摘した。それが川辺の悔しさを増幅させて、涙につながった。

 「何も……できなかった。本当に……悔しい」

 あの涙から7年。日本代表のユニホームを着た川辺駿は攻守に躍動し、キルギス戦勝利の立役者となった。

 「ハヤオ、グッドッ」

 当時、厳しい言葉を突き付けた森保一が大きな声で成長した愛弟子を称賛する。あの時、川辺駿の涙を見ながら、こんな日が訪れたらいいなと妄想はしていた。しかし、それがまさか、現実になるとは。(紫熊倶楽部・中野和也)

 ◆川辺駿(かわべ・はやお)1995年9月8日生まれ。広島市出身。ポジションはMF。背番号8。178センチ、70キロ。4歳からサッカーを始め、08年に広島ジュニアユース入団。同ユース時代にプロ契約を結び、Jリーグデビュー。15年に磐田に期限付き移籍し3季在籍。18年に広島に復帰し、19、20年はリーグ戦全試合に出場。今年3月、日本代表に初選出され、6月7日のW杯2次予選・タジキスタン戦で代表初ゴールを挙げる。

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