日本ボクシング連盟の現在地-脱・山根体制の道半ば 内田会長が語る変革の4年間
アマチュアボクシングを統括する日本ボクシング連盟は、今夏で内田貞信会長(49)が2期目を終える。同連盟は2018年に助成金の不正流用などが指摘された山根明前会長(82)が辞任し、内田会長が後を継いで就任した。昨年は、東京五輪で入江聖奈(日体大)の金などメダル3個、世界選手権で坪井智也(自衛隊)、岡沢セオン(INSPA)が日本勢として初優勝と明るい話題ももたらされた。内田会長の話から「山根体制」からの脱却を目指した4年間を振り返る。
18年夏、日本のアマチュアボクシング界は、大騒動に見舞われた。助成金の流用を端緒として、日本ボクシング連盟の不正の内部告発が次々と起こった。20年夏に予定されていた東京五輪へ、選手を抱える各都道府県連盟の「もう時間がない」という切羽詰まった思いが裏にはあった。
「終身会長」を名乗った山根氏の独裁体制。後を継いだ内田会長は「当時の事務局(岸記念体育館)は、封が開いていない書類が山積していた。掃除をしていると数百万円のお金が出てきてびっくりした」と振り返る。
事務局のスタッフは6人から11人に増員。強化事業、助成金担当など細分化し「資金繰りや決算はすべて連盟ホームページで公開し、1円単位で見られるようになっている。ごまかしができない体制をつくった」と言う。
スポンサー探しでは「あれだけの問題を起こした後で(獲得は)ゼロだった」と資金繰りには苦しんだが、体制刷新で20年には日本スポーツ協会からの「勧告」処分が解除。東京五輪前から数社のスポンサーも獲得した。「山根会長時代の約4倍の交付金になった。事業収入は18年が2588万4000円だったものが、21年には1億491万7000円へ。都道府県連盟に負担をかけなくてよくなった」と安定した。
また、審判の意識改革にも取り組んだ。「奈良判定」と呼ばれた問題は、当時の審判員から山根会長の意に沿うように圧力を受けたなどの告発があった。
しかし、現在は「海外から専門家を呼んで教育を受けている。前体制では国際審判員が12人だったが、今は35人になった」と資格保持者が増加。「一人一人が自信を持ったことで迷いがなくなり、責任感やプライドが生まれた」と分析する。
「アスリートファースト」も命題だった。五輪2大会出場で東京五輪後に引退した成松大介氏(32)は、前体制で自身の助成金が流用された当事者として、声を上げた。現体制では「アスリート委員長」を担い、現場の思いを伝えてきた。
一つの形になったのが、全日本選手権の東京開催だ。それまでは費用の問題から地方開催を続けてきたが、昨年からは墨田区体育館で開催。「彼の言葉は非常に的を射ていた。競技の普及、発展のために少しでも多くのマスコミやファンに見てもらいたいという望みだった」。成松氏は今月26日の連盟の総会で、新理事に就任した。
変革を果たした日本連盟だが、最大の目標としている「公益法人化」はまだ果たせていない。今回の総会で内田会長は再任される見通しになったが、一部会員からは反発の声もあった。それは、現体制の運営方針に異論を持つ会員が推薦した理事候補が、審議されなかったことによる。
それらの候補が山根体制でも理事を務めていたことが理由とされるが、新たな議論が封じられるという意見もある。それでも、内田会長は「今はシステムの構築が必要。(前体制のように)頭の中でわかっていても、何十年のつきあいだからと動いてしまうことがある。誰が会長になってもいい環境ができれば、私はいつでも降りる」と話している。