かつて東大出身6人目のプロ野球選手として注目を集めた元ヤクルト投手の宮台康平氏が、インタビューに応じた。昨年、司法試験に合格し、現在は司法修習生として新たな歩みを進める同氏。全国高校野球選手権が熱戦を繰り広げる中、母校・湘南高での「文武両道」の日々を振り返った。聞き手は全国の進学校野球部を徹底取材した著書もあるノンフィクション作家、松永多佳倫氏が務めた。前後編2回にわたってお届けする。

略歴

宮台 康平(みやだい・こうへい)1995年7月1日生まれ。神奈川県出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。湘南から東大を経て、17年度ドラフト7位で日本ハム入団。プロ初登板初先発は新人だった18年8月23日・ソフトバンク戦(東京ドーム)で4回2/3を4安打2失点で勝敗なし。21年にヤクルト移籍。22年限りで現役引退。その後、弁護士を目指して東大法科大学院に進み、昨年11月、司法試験に一発合格した。

なぜ湘南に…

 ―高野連は学生野球憲章が掲げる「文武両道」の精神を改めて大事にしています。その中でも湘南高校がすごいのは夏の甲子園で…。

 宮台氏「全国制覇(1949年)していますからね。それは(公立進学校では)なかなかないと思います」

 ―サッカーでも国体優勝(旧制中学時代の1946年)を果たしています。

 宮台氏「それもすごいですよね」

 ―お父さんは横浜翠嵐高校出身だそうですが、なぜ湘南を選んだのですか。

 宮台氏「父とも中3のときに両方(横浜翠嵐と湘南)検討しました。戸塚(横浜市)に住んでいたので、通学距離はどちらも同じくらい。当時から湘南は文武両道、翠嵐はどちらかというと勉学メインに頑張るという感じだったので、僕としては文武両道でやりたかった。そして何より川村先生(湘南野球部監督・川村靖氏)がいらっしゃったので」

川村先生の下でやりたい

 ―もうそのときから川村先生の名は…。

 宮台氏「そうですね。藤沢西が(川村監督の下、2008年夏の南神奈川大会で)ベスト4に進んだ時の話を父から聞いていて、だったら川村先生の下で野球をやるのがいいんじゃないかと思いました。公立校で(野球に)力を入れているところって多くなくて、進路は自然と限られてくるので、僕以外にも『川村先生の下でやりたい』っていう人は何人かいました」

 ―宮台さん、甲子園大会のテレビ中継は毎年見ます?

 宮台氏「もちろんです。応援するというか中心に見ているのは神奈川代表です」

 ―神奈川で言えば横浜高校がずっと強い。

 宮台氏「強いですね。横浜は“プレゼンス”をずっと持っているのがすごいですよね。渡辺監督(元横浜監督・渡辺元智氏)が作った土壌をずっとつないでいる感じがあるし、スカウティングにも力を入れている。進路も多様で、大学進学もあるしプロもあるし。最近の人は、そういうところもすごく気にするのかなと思ったりします」

東大を意識?

 ―湘南は進路で言うと100%…。

 宮台氏「大学進学ですね」

 ―皆さん東大を意識しているんですか?

 宮台氏「僕が入った頃は、そこまでじゃなかったと思います。東大に行くのも1桁、ギリ2桁くらいで、10人前後。9クラスだったので、クラスに1人いるかどうか。クラスで1位にならないといけない、みたいな感覚でした。ただ今は少し違うと思います。今年も(浪人含め)30人以上受かっているのを見ると、『俺でも行けるんじゃないか』っていう感覚が広がってきているのかなと」

湘南高時代の宮台氏
湘南高時代の宮台氏

 ―超進学校の中で、野球も勉強も両立。親御さんが一番知りたい部分です。勉強はどうやっていましたか。

 宮台氏「勉強に関して言えば、基本は部活メインでやっていたので、どうしてもサブなんですよね。大学に入って思ったのは、私立中高一貫校出身の子たちの進度がすごく早いこと。中1から先取りして高2で終わらせるプランを立てている。一方で県立の進学校は高1から高1の勉強が始まる。そう考えると(取り組めることは)必要最低限だと思います」

 ―必要最低限、とは。

 宮台氏「授業の進度に合わせて理解して、定期試験のたびに追いついていく感じですね。その中で大事なのは“遅れないこと”。定期試験で求められている知識の幅は、範囲内で終わらせておかないといけない。そうしないと高3の夏に引退してからスタートダッシュを切れなくなってしまう。そこで復習しているようでは基礎固めが終わらないので、高1の時から苦手分野とか、自分の理解が遅れている部分を作らないことが大事だと思います」

練習は量をしっかり

 ―川村先生は練習もみっちり。

 宮台氏「現代では珍しいというか(笑)、物量作戦というか、量をしっかりやるっていう考えの指導者ですからね」

 ―その中で、どう学業成績を保った?

 宮台氏「僕だけじゃないので、みんな同じ環境でやっているわけですから。忙しいのはみんな一緒だと考えると、一緒に頑張る仲間がいるっていうことでもありますよね。野球部に限らずサッカー部もラグビー部も頑張ってますから、そういう人たちをお手本にする部分はありました」

東大時代の立大戦で=16年5月
東大時代の立大戦で=16年5月

 ―通学時間ですごく勉強した、と。

 宮台氏「使えるところは通学時間だと思うんですよね。まとまった2、3時間はなかなか取れないので、電車の15分とか、朝の始業前の15分とか、休み時間の15分。そういう隙間時間で単語帳を開くだけでも積み上がりがあると思います」

 ―普通に練習して帰宅は何時?

 宮台氏「完全下校が(午後)7時半だったので、家に着くのは8時半ぐらい。ご飯を食べると9時半ぐらいになって、そこから1時間ぐらい勉強して寝るっていう感じでした。疲れていますし、運動しているので睡眠取らないと回復できないですから」

 ―授業中に完璧に理解する意識は?

 宮台氏「できるだけそうしようと思ってました。ただ初見の内容が出てくるので難しい。無理なら授業後に聞くなり、自分で調べるなりして追いつくっていう感じです」

日米大学野球で登板=16年7月
日米大学野球で登板=16年7月

 ―野球部内でそういう話は?

 宮台氏「しないですね。勉強に関しては野球部じゃなくて、他の部活で頑張ってる人とか、運動部で僕より成績いい人もいるので、そういう人と切磋琢磨してるイメージでした」

 ―勉強法を聞いたり?

 宮台氏「勉強法というか、ここ教えてみたいな感じで。僕は文系だったので、理系分野がわかんない時に理系の友達に聞くとか。微積の考え方とか、数列、順列・組み合わせとかですね」

周りにいた天才は?

 ―周りに見ただけで全部覚えるみたいな天才は。

 宮台氏「いたと思いますけど、言い過ぎな部分もあると思いますね。結局、量をやってるから定着する。原理原則は理解できる人がいても、枝葉は物量をこなさないと記憶までいかない。本質をつかむのが上手、っていうのはあると思います」

 ―六法全書は全部覚えるものなのですか?

 宮台氏「それでいうと覚えていないわけですよ。広すぎるので。共通項を暗記しているという感じです。主要な条文を理解しておく。暗記というよりは理解していると言うほうが正しいですかね」

ポケット六法を手に入寮=18年1月
ポケット六法を手に入寮=18年1月

 ―湘南で頑張った3年間は、司法試験にもつながった?

 宮台氏「大学受験がある種の成功体験なので、それがあったから司法試験に向かえた。大学を出てから5年間まったく勉強してなかったので不安もありましたけど、よりどころは18歳の時の経験で、『あの時にきっちりできたんだから、また頑張ればできるだろう』っていうのが自信の根拠になったと思います」

 ―空白の5年の後、机に向かうのは。

 宮台氏「しんどさはありました。文字を読むだけでもしんどいし、そこはちょっとずつ慣らしながらやってましたね」

司法試験の勉強時間

 ―勉強時間はどれぐらい?

 宮台氏「司法試験受験期間の勉強は1日10時間程度でしょうか。東大の受験勉強は半年間だったので12時間くらいやりましたが、司法試験の受験は2年半あったので、持続できるように10時間程度にしていました」

 ―弁護士を目指したのはいつから?

 宮台氏「(プロ野球を)引退してからです。それまでは全く司法試験を受けるつもりはなかったので。(大学の)現役中は部活に集中してましたし」

 ―湘南の同期は進路も幅広い。

 宮台氏「大学には全員行きます。旧帝大か、東京の私学が多いですね。九大であるとか北大であるとか…慶應、早稲田、明治、横浜国大とか。進学校なので国立志望のインセンティブもあるし、理系が多いので学費面で国立を志望するというのもあると思います」

(後編に続く)

湘南高校硬式野球部 1949年の第31回全国高校野球選手権大会に初出場し、初優勝を飾った。脇村春夫(第5代日本高野連会長)が三塁、佐々木信也(元プロ野球高橋、大映、大毎)が左翼を守った。51年、54年には選抜大会出場を果たす。勉強・部活・行事の「三兎を追う」という校風の中、2010年以降の野球部卒業生204人のうち113人が国公立大に入り、東大には15人が進んだ。川村靖監督の下、神奈川大会では13年春にベスト8入りし、15、16、23年夏にはベスト16まで勝ち進んだ。今夏は初戦敗退。新チームは2年生9人、1年生9人、マネジャー2人の計20人。