暗黒時代を支えた元阪神”ノーノー男”は 「ピンチをチャンスに変える人」 コロナ禍でも居酒屋を拡大移転

 元阪神のノーヒットノーラン投手、川尻哲郎さん(52)は昨年12月、東京・新橋にオープンした居酒屋をわずか2カ月で移転し、リニューアルした。店名も「虎尻」から虎戦士PRESENTS「TIGER STADIUM」へ。手狭になったのが一番の理由だとか。コロナ禍での大胆な決断。暗黒時代を支えた男は逆境に強いようだ。

 首位を突っ走る猛虎の勢いにあやかったわけでもあるまい。現役時、右サイドハンドから通算60勝を挙げた川尻さん。昨年12月に開店した居酒屋「虎尻」は開幕ダッシュを決めたが、今年2月には緊急事態宣言の最中に「TIGER STADIUM」として装いも新たにスタートした。

 「コロナ禍の真っ只中ですが、オープンするときも今回の移転も迷いはありませんでした。たまたま広い店補が近くに空いていたので、すぐに決めました」

 場所はサラリーマンの聖地として知られる新橋。新しくなった店の看板にはトラのお尻部分が描かれていた。もしかすると「虎尻」の名残だろうか。

 「お客さまが思ったよりたくさん来てくださったので”密”にならないような物件を早くから探していました。ここが関東の阪神ファンの聖地になれば、うれしいです」

 引退後はミヤギテレビの解説者や独立リーグ群馬の監督などを経て、このタイミングで飲食業界へ。ある意味、これが良かったのかもしれない。リニューアルしたのもキャンプインと同時期。そのときの直感が的中した。

 「正直、阪神が開幕からこんなに走るとは思いませんでしたが、キャンプから新人の佐藤輝明は本物だと感じました。オープン戦で確かなものになり、開幕してからも怪物の片鱗をのぞかせています」

 店は陽子夫人と力を合わせ、切り盛りする。現在のキャパは50人へ。入るなり、右側に10人ほど座れるバーカウンターがあり、1人でも気楽に来店してもらえるように配慮したという。目に飛び込んでくるのはやはり、大きなスコアボード。もちろん、これは1998年5月26日の中日戦(倉敷マスカットスタジアム)で達成したノーヒットノーランのものだ。

 メニューにも阪神愛を込め、グリーンウェルやアレンといった懐かしの助っ人にちなんだものや野球用語を取り入れるなどユニーク。また、現役時に最もかわいがった濱中治さんらを呼んでの野球談義を企画し、それをブログにアップし、ファンとの交流も図っている。

 営業時間は阪神の試合日程に合わせて調整。シーズン中は店内で阪神戦の中継を全試合流すという。取材に訪れた日は神宮球場で午後1時プレーボール。すでに30分前から予約客が着席し、応援態勢に入っていた。

 「新橋を選んだのは群馬から東京に出てきて直感的に、ここだと思ったからです。僕はタイガースで育ったし、いまも阪神を愛しています。だから全面にタイガースの名前を出しました。それに、東京には阪神ファンが多いんです。その恩返しとして憩いの場、聖地としての空間をつくりました」

 現役時代はどちらかと言えば、我が道を行くタイプ。ときにグラウンド外でも話題をまいた。開幕投手を打診されながら「給料につながらない」と拒否。2001年にはメジャー移籍騒動を起こし、その後は契約更改で球団ともめた。2003年のリーグ優勝の胴上げには「僕の行く場所ではない」と身を引いた。

 トラブルメーカーの一面も確かにあったが、近鉄移籍後の2004年、球界再編問題の際には合併し阻止へ率先して署名活動するなど、常にファン側に立った。

 「いろんなことがありましたが、僕は何事も本質が大事だと思っています。自分がした行動、発言には間違いないと、ブレがあってはいけない」

 ファン思いの一端を示すかのように、阪神時代のある日の名古屋遠征で半ばふざけて中日の帽子を被っていたら街中でサインを求められ、ペンを走らせたこともあったという。

 「実は、そのときのファンがお店に来てくださいました」と驚く陽子夫人。「川尻はいつも自分のすることに後悔をしたことがないです。確かに現役時代には色々ありましたが、ピンチをチャンスに変える人です」

 いみじくも愛するタイガースが絶好調だ。優勝すれば、あらゆる企画が頭に浮かぶ。「チャンスですが、まだまだ逆境もあります。監督、選手が一丸となって優勝してくれることを期待しています」

 野球人生で学んだ逆転の発想は、川尻さんの第2の人生でも遺憾なく発揮されているようだ。

(まいどなニュース特約・吉見 健明)

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