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宝塚女優の長女支えるマッハ文朱の「最終章」ハトムギ、シャンソン、講演…コロナ禍も充電中

 1970年代半ばに女子プロレスをメジャーな存在へとけん引したマッハ文朱は20年以上を過ごした米国から帰国後、関西と東京を行き来しながら、テレビ出演や講演、「ハトムギ伝道師」として充実した日々を送っている。

 13歳で日本テレビ系「スター誕生!」の決勝大会に進出。同い年の山口百恵さんがいた。「あの頃から百恵さんは精神年齢が大人という印象。色香があった」。自身は174センチの長身、合気道3段、柔道初段。スポーツ万能の少女は全日本女子プロレス(全女)に入門し、74年にデビューした。

 リングネームの由来を語った。「よく着ていた赤いとっくりセーターに付いた『М』のイニシャルワッペンと、行動がテキパキ早いことから『マッハ』と呼ばれていて、下の名前は本名から『文』、赤いイメージから『朱』。少年漫画誌の募集で『タイガー茜』に決まっていたのですが、私からどうしてもマッハでいきたいとお願いしました」

 最年少の16歳でWWWA世界シングル王者となり、全女の至宝「赤いベルト」を巻いた。その直前にリリースしたデビュー曲「花を咲かそう」は約40万枚のヒット。「百恵さんが『ひと夏の経験』を歌われていた時代、スタ誕で落ちた女子プロレスラーとの対比がセンセーショナルということでオファーがありました」。テレビの歌謡番組に出演しながら、年間250試合をこなした。

 「睡眠2時間。例えば、九州巡業の試合後に夜行列車で東京に戻ってテレビに出てから飛行機でトンボ帰りとか。当時はまだマイナーだった女子プロを明るいイメージに変えたかった。それを果たしたことでチャンピオンのまま引退。スタ誕の決勝会場、全女のデビュー戦と18歳の引退セレモニーのすべてが後楽園ホールでした」

 引退後は女優としても活躍。初主演作「宇宙怪獣ガメラ」(80年)は今も国内外の特撮マニアから再評価される。テレビでもクイズ番組「ヒントでピント」などレギュラーを7本持つ人気タレントだったが、ニューヨークで英語とエンターテインメントを学びたいと渡米。帰国後、27歳で通信制高校に編入し、卒業後、30歳でロサンゼルスのカレッジに進学。結婚し、子育てやスポーツバー経営にも取り組んだ。次女のユキ・チャンさんはプロテニス選手として活躍した。

 米国から帰国したのは、宝塚歌劇団星組に所属する長女の桃堂純をサポートするため。劇場の最後尾から愛娘を見守る。自身は2016年からKBS京都の番組「おやかまっさん」で月金曜のメインМCを2年半務めた。「毎朝、兵庫から通う阪急電車でよく声を掛けられました。街を歩いていると『マッハさん、京都で何してはんの?』と。名前の力を感じてうれしいです」。現在も同局の「きらきん!」で自身のコーナーを担当する。

 昨年、還暦を迎えた。シニア層に向けた「元気になる講演会」に加え、ハトムギの普及に尽力。「15-16歳の時にニキビに悩まされ、姉に勧められてハトムギを飲んだら20キロも体重が落ちた。『マッハ式やせてびっくり!』(82年発売)というベストセラーになったダイエット本があるのですが、40年後、再びハトムギブーム到来ということで、ショップチャンネルで商品を紹介中です。全国の生協(コープ)会員さま向けのハトムギ広告キャラクターでも登場しています。昨年12月に続き、今年もJR東日本の電車のドア部分に広告写真が貼られる予定です」と力を込めた。

 コロナ禍で講演会が中止になっても気持ちは前向き。「家にいる時間を生かそうと。整理整頓、読書、資格習得中。収束後に向けた準備期間です」。昨年、大好きな越路吹雪さんの命日に「ろくでなし」「サン・トワ・マミー」「ケ・サラ」の3曲を歌うなどシャンソン歌手としての活動にも目覚めた。交流のあった桂枝雀さんの影響から「落語もやりたい」と意欲的。コロナ禍にもくじけない。「マッハ最終章」を掲げ、マルチでポジティブな生き方を貫く。

 ◆マッハ文朱(まっは・ふみあけ)1959年3月3日、熊本生まれの東京育ち。15歳で女子プロレスデビュー後、初の芸能界進出を果たしたレジェンド。18歳で引退後、引き続きテレビ、映画では「華麗なる追跡」「トラック野郎 天下御免」「ドカベン」(いずれも鈴木則文監督)など多数出演。89年に米留学、93年に台湾系米国人と結婚。娘2人。14年に芸能界復帰。ブログ「今日もマッハで」、Twitterでも奮闘中。

(まいどなニュース/デイリースポーツ・北村 泰介)

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