人はなぜ眠り、目覚めるのか? 神経伝達物質「オレキシン」→脳を目覚めさせるスイッチとして注目

 約30年前に発見された「オレキシン」は当初、摂食行動を制御する神経伝達物質(脳内で神経からの刺激を伝える化学物質)と考えられていました。1998年、筑波大学の柳沢正史先生らは、脳内に未知の物質を発見しました。この物質は食欲を増進させることから「オレキシン(ギリシャ語で食欲の意味)」と名づけられました。その翌年、ナルコレプシー(過眠症の一種で、寝てはいけない場面で急激な眠気に襲われ突然眠ってしまう病気)との関連から、オレキシンが覚醒状態の維持に関わることが明らかとなり、現在ではオレキシンは「脳を目覚めさせるスイッチ」として、睡眠・覚醒との関係が注目されています。

 ちなみに、オレキシンと摂食行動との関係についても研究は続けられています。進化論的にいうと、動物は食べ物を捕らないと生存できません。食べ物を探すためには、ちゃんと目覚めていることが必要です。進化の過程で、オレキシンによって覚醒を維持する仕組みが発達してきたのではないか。オレキシンの発見は、柳沢先生が将来のノーベル賞候補に挙げられるほど、画期的なことなのです。

 マウスにしばらく餌をやらないと、本来なら休眠期であるはずの昼間も動き回るようになります。覚醒レベルが上昇するのです。当然、睡眠時間は減ります。しかし、遺伝子操作でオレキシンを分泌できないようにしたマウスではこの変化は起こりません。絶食による空腹の情報がオレキシンを介して覚醒レベルを上昇させているのです。野生動物は空腹になると、餌を探さねばなりません。このとき、覚醒レベルを上げて感覚を鋭くし、交感神経を興奮させて身体機能を上げる必要があります。餌を狩る行動には危険が伴います。この行動には、オレキシンが不可欠なのです。

 難解な脳科学の話になりますが、オレキシン作動性神経ネットワークは脳の視床下部という部分に存在します。この部分は従来「摂食中枢」と考えられてきました。視床下部には、食欲に関与する中枢があります。大村裕先生は金沢大学医学部の教授だった1960年代、食欲に重要な役割を果たす部位を視床下部に発見していました。オレキシンが存在するのも、まさにこの食欲中枢に一致したのです。

 しかしまもなく、オレキシンは覚醒に関与する物質であることが判ってきます。オレキシン作動性神経ネットワークは、その時々の栄養状態に応じた摂食行動を維持するために、覚醒を制御する機能をもっているのではないかと。ほとんどの方は、昼食の後に眠くなった経験をお持ちでしょう。「消化のために胃腸に血が集まるから、脳に血が行かなくなって眠くなる」などと言われますが、そうではありません。

 脳は全身でもっとも血液が必要な臓器であり、脳への血流は常に最優先で確保されるようになっています。消化のために脳の血流を犠牲にするなどあり得ません。ではなぜ眠くなるのでしょうか。満腹になると血糖値が上がり、空腹になると血糖値は下がります。そしてこの変動は、オレキシンの発現頻度を大きく変化させるのです。血糖値が下がるとオレキシンの発現頻度は上がり、血糖値が上がるとオレキシン作動性神経ネットワークの活動は低下します。このことが、食後の眠気に関与しているのです。

 空腹時に血糖値が下がり、身体が痩せてくるとオレキシンの活動が亢進し、覚醒レベルを上昇させ、注意力を向上させ、身体活動を興奮させ、全身を「臨戦態勢」に整えていく。野生の動物にとって、餌をとることは戦いです。ハングリーな時に、目標に向けた行動のために心身機能を亢進させる。つまりオレキシンは「ハングリー精神を担う物質」とも言えるのです。(参考:講談社ブルーバックス 櫻井武著「睡眠の科学・改訂新版 ~なぜ眠るのか、なぜ目覚めるのか~」)

 ◆松本浩彦(まつもと・ひろひこ)芦屋市・松本クリニック院長。内科・外科をはじめ「ホーム・ドクター」家庭の総合医を実践している。同志社大学客員教授、日本臍帯プラセンタ学会会長。

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